ぷはー! 体育の後はこれに限るね!
オヤジ臭いセリフ言いながら、ヤクルトを一気飲みするのやめてくんない? なんか恥ずかしいんだけど
なんでー! 一緒にやろうよ。今日はストックがあるから、1本奢ってあげる♪
っていうか、なんでそんなにヤクルトを持ってるのよ
今日学校に来る前にヤクルトレディーと会ってさ、思わず買っちゃったんだよね。ヤクルトって安いし
まぁ確かに、お小遣いでも十分に買えるよね
でしょ。それに甘くておいしいし
でも女子高生が配達中のヤクルトレディーを捕まえて、ヤクルトを買うっていうのは中々ないシーンではあるけど
そうかなー?
そうだよ。でもヤクルトって、ジュースというよりは健康食品なんだよね
そうみたいだねー。私は味が好きだから買ってるだけだけど
えまは何も考えてないからね。ヤクルトを作った人が、えまみたいな人だったら、きっと商品は生まれなかったんだろうな
ひどーい。つむぎがイジメる―
そう思うと、ヤクルトってなんで生まれたんだろ? ちょっと調べてみるか
がーん、無視されてる。私、ここにいるよ! 透明人間にしないでぇ
はいはい。ほら、ちょっとヤクルトの勉強するよ
はーい!
切換え早っ!
で、で、ヤクルトの創業者って外人なの?
いや、日本人みたいだよ。代田稔って人が作ったらしい
シロタ株!?
代田稔だよ。あーでも、シロタ株を発見したのが代田稔さんだから、その名前が付けられたみたいだね
名字からつけられた名前だったんだね。でも、シロタ株ってなんだっけ。ヤクルトを飲んでいたら、よく目にするから名前は知ってるけど
あんたねぇ……。シロタ株は乳酸菌を強化培養したものだってさ
乳酸菌!
ついでに乳酸菌は、胃液や胆汁などの強い消化液に負けずに、生きたまま腸に届いて腸内環境を改善する働きがあるもののことね
私、まだ何も言ってないのに……
どうせわかっていないだろうなと思って
うぅ、さすがつむぎちゃん
代田さんは、1899年長野県で生まれたんだけど、父親が紙問屋と養蚕業を営む裕福な家庭だったそうだよ
ぼんぼんだったんだね
古い言葉だなぁ、ぼんぼんって。でも三男だったし、親の後を継ぐということは視野に入っていなかったっぽいね
三男は自由だよねー
えまには言われたくないだろうけど。でも、当時の日本って衛生環境が悪かったり、栄養状態が悪かったりしてたから、感染症にかかりやすくって、子どものうちに死んじゃう子も多かったんだって
ってことは、私たちの年代で死んじゃうってこと!?
いや、乳幼児とか小学生ぐらいで、たくさん死んでたんじゃないかな。免疫力は低そうだし
そっか。でも、友だちが急に体調を崩して死んじゃうのを、小学生とかで経験をするなんて……
そうだよね。だからっていうのもあるけど、代田さんは医者を志していたんだってさ
医者かー
1921年には京都帝国大学医学部に入学しているし
そんなところに入学できるなんて、めっちゃ頭いいんだね。私にはわからない世界……
でもその学生時代に研究をしていて、日本国内で子どもたちがいまだに伝染病や感染症で亡くなっているのを知ったんだって
自分の子どもの頃だけの話じゃないっていう現実を知ったんだ……
そこで代田さんが思ったのが、伝染病はかかってからでは治す方法がない。だったら、病気にかからないように予防することが大切なんじゃないかってこと
ほうほう
当時の一般的な医療業界の考え方は病気になってから治療することだったけど、代田さんは予防医学を極める道を進むことにしたみたいだね
だめだ。勉強の話って思ったら、だんだんついていけなくなってきた
いや、全然分かりやすいところしか話してないんだけど
えーん。あ! でもさ、その予防医学の道に進んだんだったら、なんでヤクルトを売り始めたの?
それは予防医学のために、治療をする方ではなくて微生物の研究をすることにしたからだよ。京都帝国大学に残って、助教授、研究所長にまでなってるし
大学の研究員だったんだね
そうだよ。1930年には大学でシロタ株も発表してるみたい
そうなんだ。あれ? でも、大学にいる時に発表したんだったら、シロタ株は大学のものになるんじゃないの?
それが当時は、大学所属の人が何かを発見しても、特許は個人が持つことができたみたい。だけど、この時代はそもそも自然界に存在する微生物とか、培養する方法とかの特許申請ができなかったんだって。それができるようになったのは1970年代後半らしいよ
そうなんだ。じゃあ、大学を辞めて、自分がシロタ株を使うことには何の問題もないんだね
そういうこと
代田さんがヤクルトを立ち上げたってことは、大学を辞めるってことだよね?どのタイミングで辞めたの?
お、やっとまともな質問
えっへん!
ヤクルトを立ち上げるに至った経緯には、永松昇との出会いも関係しているんだよ
新しい名前だ! その人は何をしている人?
永松さんは福岡県出身の実業家なんだけど、京都にある「エリー研生学会」っていう乳酸菌飲料メーカーで勤務していたらしいんだよ
代田さんがヤクルトを作る前から、乳酸菌飲料っていうのはあったんだ!
そうだよね。何となくヤクルトが日本で一番初めなのかと思ってたけど
でも、そこに勤めていたってことは、京都の大学で乳酸菌の研究をしていた代田さんと繋がりができるのも分かる気がする
うん。永松さんは、常に優れた効果のある乳酸菌を求めていたから、代田さんの噂を聞いて、大学にもちょくちょく顔を出していたらしい
そういう流れかー
二人の信頼関係がある程度作られていくと、代田さんは自分の思いを永松さんに伝えたみたいよ。自分の信念は、病気にかからない体を作ることと、腸を丈夫にすることが健康で長生きすることに繋がるってことを
おー! それで二人はヤクルトを作ることにしたんだね
そういうこと。1935年に福岡市で代田保護菌研究所を設立したって書いてるよ
そこは永松さんの故郷なんだね。あれ? でも研究所ってことは、会社ではないってこと?
株式会社ではなさそうだよ。でもここで、ヤクルトを売り始めてる
出た! ヤクルト! 一番初めのヤクルトって、どんなだったの?
初めはガラス瓶に入ってたんだって。でも、容器は統一されていなかったみたい
そんなことある?
代田さんは研究員だから、その辺はあんまり考えてなかったんじゃない?
でも事業家の永松さんがいたでしょ
そうだよね。まぁでも初めはバラバラの容器だったけど、そのうち毎日届けて飲み切りやすいように180mlのガラス瓶に統一されたらしいよ
今の形のプラスチックの容器になったのはいつなの?
それは……えーっと、1968年だから、初代の33年後だね
私たちの年齢よりも長い年月!
確かに。ちなみに味は、大人から子どもまで美味しく飲めるように、最初っから甘味をつけられていたらしいよ
え? それってつまり、元の味はまずいってこと?
まずいというか、生きている乳酸菌のシロタ株は製造の過程で乳酸を出すんだけど、それが強い酸性なんだって。だからめっちゃ酸っぱいらしい
そうなんだ! レモンみたいな感じなのかなー
原液も気になるよねー
気になる! 味見したい!
まぁ、今のヤクルトの工場見学に行っても、シロタ株の味見はできないみたいだけどね
それは残念……
ちなみに、「ヤクルト」ってエスペラント語なんだって
ちょ、ちょっと待って。何?エスペラント語って
特定の国や地域の言葉ではなくって、世界中の誰もが母国語に囚われずに、平等にコミュニケーションできるように作られた国際補助語だってさ
全く知らないんだけど
私も知らなかった。でも、1887年にポーランドで作られて、十万から百万人位の人が使っているらしいよ
そんな言葉があるなら、英語とか習わさずに、学校でエスペラント語を習わせればいいのに
そうだよね。でもそこには国際的政治背景とか過去にヒトラーやスターリンが使っていたという背景とかも絡んでるっぽいね
あぁ……何となくわかった。でもさ、代田さんはむしろよくエスペラント語を知っていたよね
1900年代の人だからというのもあるのかもね
それで「ヤクルト」って、どういう意味なの?
ヨーグルトだって。ただエスペラント語で言うなら本当は「ヤフルト」なんだけど、それを言いやすい言葉に変えたみたいだね
なんだ、ヨーグルトなんだ。もっとなんか壮大な意味があるのかと思った
代田さんにとっては、ヨーグルトっていうことが全世界に伝われば、これは健康のための食品なんだって伝わると思ったからじゃないかな
なるほど……。昔からヨーグルトは健康食品扱いだったってことだね
そういうこと
ちょっと話は戻るんだけど、さっきさ、ヤクルトの入れ物が最初はバラバラだったって言ってたでしょ?でもそれって、どういう売り方をしていたら、そんなことになるの?
あぁそれは、初めは牛乳販売店を通じた宅配販売をしていたらしいよ。しかも、最初は飲み切りサイズじゃなくて、720mlが入るガラス容器に入れて直接渡していて、各家庭で薄めて飲んでいたんだって
そっか、お店に置いて販売していたわけじゃないから、容器の形は何でもよかったんだ
そういうこと
しかも薄めて飲むとか、カルピスじゃん!
まぁ、そうね。あとね、その当時は生きた乳酸菌を飲むと健康になるという概念がなかったから、1940年ごろから販売専門の組織「代田保護菌普及会」というのが各地にできたらしい
普及活動って……なんか、ホントやり方が企業のやり方じゃないよね
そうだね。まぁ、研究者の代田さんと営業マンの永松さんの二人だったから仕方ないんじゃない?
確かに。でも、そこからよく、今の形になっていったよね
ヤクルトは戦後の復興期に全国へ急拡大して、独立した状態で乱立していたらしいのよ
乱立ってどれぐらい?
600社以上あったらしい
それはすごいね
でも、工場も販売会社もバラバラだから、事業方針の統一とか指導・統括するような中心的な機関を作ってほしいっていう要望が、あちこちから来たみたいなんだよね。ほら、近いエリアで別業者がヤクルトを販売したりとかすると、色々と差が出てしまうこともあったみたいだし
それは、お客さんも困るし、販売側も困るよね
それで1955年に代田さんたちは株式会社ヤクルト本社を作って、フランチャイズ方式を導入して統治を始めていったらしい
なんか戦国時代みたい
その言い方はあってるかも。実際統一していくのに、1955年から1970年までかけてるし
今まで自由にやっていたのに、急にトップがしゃしゃり出てきた感じに捉える事業者もいたはずだもんね。苦労したんだろうなぁ
でも、1955年に株式にしてから、もう一つ始めたことがあるのよ
え?何々?
ヤクルトレディー
おぉ! きたきた~!
地域ごとのテスト販売を開始したのは1954年なんだけどね。そもそも、当時は「菌」という言葉にマイナスイメージがあったから、それを払拭するためにはお客様と直接対面して、効能や価値を丁寧に説明して手渡しする独自の販売員が必要だったんだけど、受け取る側は主婦でしょ?
だから、男性よりも女性の方がいいって思ったんだ!
そういうこと。初めは若い男性だったらしいけど、主婦層に受けるのは、同じ主婦なんじゃないかと思って、主婦に販売員をしてもらったのが始まりだね
でもこの時代って、主婦が働くなんてあり得ないみたいな空気があったよね
うんでも、1960年代は家電製品が一般家庭に急速に普及し始めて、家事にかかる時間が軽減していたのと、代田さんを含む経営陣が女性の社会進出を後押ししたいと考えていたから、代田さんが社長に就任した1963年に婦人販売店システムを全国で正式に組織化したんだって
おぉ!壮大!……あれ?ちょっと待って。代田さんが社長になったのは1963年なの?株式会社になったのは1955年だよね
最初の社長は永松さんだよ。経営は永松さん、研究は代田さんという感じで分かれていたから
なんで永松さんは社長を辞めたの?
権力抗争に敗れたかららしいよ。株式会社になった時から、九州出身の実業家松園尚巳という人が台頭してきて、そことの抗争で負けたらしい。で、二代目社長をヤクルトの創業者である代田さんにして、松園さんは専務。代田さんが退いた後は、自分が第三代社長になってる
社内でも色々あるんだね……
でも、代田さんが創業者ってだけではなく、社長になったのはよかったって思うけどね
それはそうかも。でも、女性の社会進出を日本ではじめてにしたのはヤクルトなの?
それは違うみたい。でも、主婦が働けるようにしたのは、ヤクルトがパイオニアだって言われてるね。独身女性は働けても、主婦になったら家庭にいるのが常識みたいな時代だったから
女性は女性でも、主婦かー。確かに、主婦になると働くのに色んな弊害が出て来るもんね。男性は妊娠しないし、子育てもあんまりしないし
うん、だから1970年に、ヤクルトは日本で初めての企業内保育所を作ったんだよ
それは確かに働きやすくなる!
1980年には全国の地方販売会社が本格的に保育所を公式運営にする流れが定着して、全国に急速に普及していったんだって
でも1980年って、私たちが生まれるちょっと前だよね。それまではそういう流れもなかったってことでしょ
そうだね。私たちのお母さんって普通に働いてるけど、そういうふうな流れを作ったのがヤクルトっていうのも、なんかすごいよね
確かに! ヤクルトって腸内環境だけでなく、女性の社会進出まで整えてきたんだなー。よーし、これからもヤクルトレディーにあったらヤクルト買うぞー!
ちょっとズレてる気もするけど、私も買おうかな
本当!? じゃあ今日の放課後はヤクルトレディー探しをしよう!
それは絶対、趣旨が違う!私はやんないからね!
え~、やろうよ~。つむぎちゃ~ん
次へ▶近日公開予定
前へ▶【女子高生2人が語るビジネス Vol.4】山梨シルクセンターからサンリオへ
《参考資料》
ヤクルト本社/IR情報・企業情報(公式サイト)
ヤクルト本社/お客さま相談センター・90周年記念サイト(公式サイト)
TOPPAN(凸版印刷)/年史対談(公式サイト)
公益財団法人 発明協会「戦後日本のイノベーション100選」(公式サイト)
飯田市立図書館/郷土の偉人アーカイブ(公式サイト)
この記事を書いた人
岩本和代
2016年よりフリーのライターとして活動中。 インタビュー取材、シナリオ執筆を得意としており、幅広く執筆をしている。
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