【女子高生2人が語るビジネス Vol.4】山梨シルクセンターからサンリオへ

岩本和代

【登場人物】
えま……17歳の女の子。高校2年生。好奇心旺盛だが、他力本願。楽しいことが好き。
つむぎ……17歳の女の子。高校2年生。えまと同じクラスで仲がいい。分からないことはすぐに検索するタイプ。いつもえまに振り回されている。

はぁ、なんでサンリオって、どの世代にも受けるキャラが作れるんだろう


なんか、いつもに比べると、まともな疑問を持ってるね


まともな疑問って! いつもまともだと思うんだけど?


うーん……まぁ、それは置いておいて。何かあったの?


いや、お婆ちゃんが伊豆旅行のお土産にキティちゃんの伊豆限定ハンカチを買ってきたんだけど、1枚しかなくてさ


それを5歳の従妹と取り合いになって、力業で勝ったんだけど、それを見ていた母親に怒られたんだよねー


……はぁ。いつも通りのえまで安心したけど、母親も苦労してるな~


え! なんでそこで母親!? 私が可哀想じゃない? つむぎって、たまに意味が分からないこと言うよね


ははは(失笑)


でもサンリオってさ、どのキャラクターも可愛いけど、親世代も知ってるし、好きな人がいるよね


んーそれはそうね。キャラクターって言ったら、子どもが好きなものっていうイメージが強いけど、サンリオのキャラクターは基本的には大人も年配の人も好きな人は好きだよね


でしょ。サンリオって、初めから全年代に向けたキャラ作りをしていたのかな? っていうか、あんなに可愛いんだから、やっぱり女性が初代社長?


……この流れは、またあれね


困った時のつむぎ様!


はいはい。えーっとね、サンリオの初代社長は男性みたいよ


そうなの!? じゃあ、乙女趣味な人だったってこと?


うーん、そういうわけではなさそうだけど


じゃあビジネス目的で?


まぁ、そうだと思う。でも、ただ売れるからキャラを作っていこうと思って、会社を立ち上げたわけではなさそうだよ


そうなの?


色々な理由があって、今の形になってるみたいだから、その最初の状態をまずは知る必要があるかも


なるほど。で?


えっとね、創業者は辻信太郎っていう男性なんだけど、彼は元々山梨県庁に勤めていたらしい


公務員だったってこと?


そうだよ。あーでも、ちょっと待って。辻信太郎のことを知るためには、彼の幼少期の話も必要かも


幼少期? いいよ、話して~


完全な受け身態勢だね


えっへん


褒めてはないんだけど……。まぁ、いいわ。彼は山梨県甲府市に1927年に生まれていて、複数の旅館や料亭を経営する地元でも歴史のある旧家が実家だったらしいのよ


お金持ちの、お坊ちゃんってことだね。いいなー。ぜいたくな暮らしをしたんだろうなー


カトリック系の幼稚園の日曜学校に5~6歳の時に通っていて、そこで「モノをあげると人は喜ぶ」という経験をしたらしい


うん。私もつむぎからおやつをもらったら嬉しいよ!


あげないけどね


ケチー


その後、彼が13歳の時に母親が死んで、母方の伯母や父親の親戚の家を転々として過ごしていたみたいね


え? 亡くなったのは母親だけだよね? お父さんはどうしたの?


それが、この旧家って母親の実家らしくって、母親が跡を継いでいたからそこにいたけど、母親が亡くなった後は伯母が跡を継いで、父親は家から放りだされたみたいなの


いやいや、それなら子どもたちも一緒に放り出せばよくない?


父親と子どもを離れさせる理由が分からないし、親戚の家をたらいまわしにするぐらい面倒くさい存在と思っているなら、なおさら父親に任せてしまえばいいのに


それはそうなんだけど、何かしら父親に任せることができない何かがあったんだろうね


でも、山梨って空襲があったんだけど、その時に父親が子どもたちを助けに来ていたっていう事実も残っているみたいだから、父親と子どもたちが会えなくなったというわけではないみたいだけど


うーん。なんか色々納得いかないなー。まぁ、当時と今では日本も違う国っていうぐらい常識が違ったから、それがおかしいっていうことを言う人がいなかったのかもだけど


だね。その後、辻信太郎は山梨の高校を卒業して、兵役を避けるために群馬の大学に進学したんだって


でも大学生の時に夏休みで帰省をしていた時に空襲にあって、生家は全焼。この時の悲惨な体験が、辻さんの中で「みんななかよく」という平和への企業理念に繋がっているらしい


ん? サンリオの企業理念って「みんななかよく」なの?


そうだよ。相反する意見にも耳を傾け、相手の立場になって理解するという意味が込められているらしい


あぁーだから、サンリオのキャラクターたちって人気投票とかあるけど、キャラ同士の関係性が悪くないように見えるのか


いやでも、同じ企業のキャラクター同士で仲が悪いっていうのは、あんまり見ない気もするけど


いーの! その中でも、サンリオのキャラはとくに仲がよさそうだから


まぁ、別にそこは良いんだけどさ。そうそう、でもこの大学生だった頃に面白いエピソードが残ってるんだよ


どんなの?


辻さんが通っていた大学は、今でいう群馬大学理工学部化学工業学科だったんだけど、そこで得た知識を使って、サッカリンという人工甘味料や石鹸を作って、闇市で販売していたらしい


闇市! って、非公式にってことだよね?


そうだよ。それが結構評判だったんだって


そうなんだ! じゃあ私もぬいぐるみを作って――


えまって裁縫苦手だったような……


うぐぅ

話を進めるよ。大学を卒業した辻さんは、その後山梨県庁に入庁したんだって


ようやく話が最初に戻って来たね。でも、つむぎが話してくれた、辻さんの子ども時代の背景が、大人になってから影響しているってことなんだよね


そういうこと。辻さんが地方公務員だったのは11年間なんだけど、山梨県の特産品「絹製品」「葡萄酒」「ワイン」の販路拡大を目的とした、外郭団体「山梨シルクセンター」の業務に関わるようになるらしいのよ


ちょ、ちょっと待って。外郭団体って何?


それは、行政機関の組織には入っていないものの、業務の一部を代行したり、支援したりする団体の総称よ


県庁が手助けしている団体ってこと?


そういうこと


でも行政も関わっているなら、半分は行政機関みたいな存在だよね


うーん、そこはちょっと何とも。結構曖昧にしておいた方がいいような感じがするな


そうなんだ


話を戻すけど、辻さんは大学の時もそうだったけど、実は商才がある人なんだよ。だから、この山梨シルクセンターを手伝うと――


あ! めっちゃ儲ける団体になったんだ!


そういうこと。でも、行政が絡んでいる団体がそんなに儲けるのはどうなの? という強い反発や批判が起きて、辻さんは行政ビジネスの限界を感じたらしい


それで山梨県庁を辞めたんだね


そういうこと。その時に山梨シルクセンターも民営化させて、東京の日本橋に会社を構えたらしい


そこで東京に来たんだ。でも、なんで? 山梨でシルクセンターを運営していても問題はなかったんでしょ?


うーん、公式発表していないから憶測になっちゃうけど、取引相手がすでに外国も入っていたからという理由がひとつ


あとは東京に問屋さんとかお店が集まっていたからという理由もあるんじゃないかな。辻さんは小さく収まるような人ではなかったみたいだし


なるほどね。でもそれなら、会社名に「山梨」を入れなくてもいいんじゃない?


そこは、山梨県知事や副知事、商工会議所からも個人的に各5万円ほど出資を受けていたというのもあるし、山梨県の特産品を東京や世界に売り込むという気持ちもあったからじゃないかな


そっか。ただビジネスをしたいというだけじゃなかったんだね


でも、開業してすぐに倒産の危機にあったらしいよ


何があったの?


株式会社山梨シルクセンターは1960年8月に設立したんだけど、外郭団体だった時から手掛けていた韓国向けの絹製品の輸出取引で、バイヤーから500万円の不渡り手形を掴まされたんだって。資本金は100万円だったのに


資本金って企業の貯金みたいなやつのことだよね? それなのに、いきなりマイナス500万円って


ね、ヤバいでしょ。だから日本橋の事務所の賃料も払えなくなって、家賃の安い秋葉原の雑居ビルに移転したんだってさ


ねぇねぇ、事務所移転は良いけど、その初期の段階で会社には何人の人がいたの?


辻さんを含む男性4人と事務員の女性が1人だけだって


少なっ!! あのサンリオの初期が、たった5人の会社だったなんて


考えられないことだよね。でも、辻さんは借金返済のために、他の人が考えなかったことをするんだよ


あ、倒産はしてないんだね


なんと無許可でのゲリラ路上販売をしたんだよ


えぇぇっ!? 企業としては普通にあり得ない行動。あ、でもたった5人だったら、企業とも言えないのか……


いや普通は考えないって。でも、百貨店の入り口前とか、銭湯の前で路上販売をして、辻さんは問屋から仕入れる価格と、自分で消費者に売る小売価格では、3倍もの価格差があるという商売の本質を学んだんだって


たたじゃ転ばない人だね。それで借金は返せたの?


たった3ヶ月で完済


凄すぎる……。まぁでも、路上販売している場所も、ちょうど財布のひもが緩くなりそうだし。今のサンリオからは考えられないけど


だよね。でもこのことがあったから、辻さんは自分たちでデザインして付加価値をつけたものを、自分たちで売り場を用意して販売するというキャラクタービジネスの強固な基盤を作ることができたらしい


私だったら500万の負債が来た時点で考えるのを放棄しちゃうけど、凄い人だねぇ。でも、そこからどうやって、今のサンリオになっていったの?


その後、オリジナルデザインをつけたビーチサンダルやコップが、子どもたちの間で大ヒットして、これは商品になると確信したらしいよ


オリジナルデザインって、キティちゃん?


あぁ、ううん。まだキャラクターまでいってない。この時はイチゴのデザインをつけただけだったみたいね


イチゴかぁ~。それも可愛いね


さらに、当時はまだ無名だった「やなせたかし」に詩集を描いてもらって出版。ここから出版事業に参入して、贈り物用の小型絵本シリーズを作って、それが会社の売上を支える柱になったんだって


絵本か~。確かに可愛い絵本は欲しくなるし、プレゼントされたら嬉しいよね


そして1969年12月にサンリオグリーティング株式会社を設立


えっ!? ちょっと待って。設立? 社名変更じゃなくって?


うん。輸入販売や自社製カードの展開を目的とした子会社を先に作ったみたい


そうなんだ! でも、本社はまだ山梨シルクセンターなんだよね


そうだよ。でも、事業拡大を続けてるから拠点を五反田に移して、さらに1971年には新宿に初の大型直営店「ギフトゲート」を開店。これが現代のサンリオショップの原型になっているらしい


おぉ! どんどん発展していってるね。でも、そろそろ社名変更?


うん、1973年10月に、ついに株式会社サンリオに社名変更だって


それって、子会社の名前に合わせてってこと?


いや、そうじゃないみたい。その頃には、山梨の絹を扱う会社ではなくなっていたから、シルクセンターという名前も変だろうという考えだったみたい。それと、この時に、さっきの子会社も合併して、一つの企業になったんだってさ


なんか子会社に乗っ取られている感じもするけど


乗っ取りというよりは、子会社で感触を試して、上手くいったから乗り換えたっていう方が正しい気がする


あぁ、そういうことか


あとね、この時に五反田にレストラン第1号「サンリオ・サロン」も開いて、外食産業への実験的な参入も行ったらしいよ


なんか何でも来いって感じだね。それで、キティちゃんはいつ出てくるの?


キティが登場したのは翌年の話だよ。この頃のサンリオでは、スヌーピーのようなキャラクターを生み出すようにと、デザイン室にいるデザイナーに言っていたらしい。そこでは毎日のように動物のキャラクターを描かされていたんだってさ


ほうほう。で、これはすごいものが生まれた!となって、キティを販売していったの?


ううん、全く違う。キティは元々、デザイナーがおまけで書いたものだったし、辻さんの評価も悪かったみたい


けど、とりあえず一度は市場に出してみるかということで、コインケースに、キティを含む色んなキャラのデザインを施したものを販売してみたら、キティだけが爆発的に売れたんだって。そこからは方向転換をして、キティをどんどん売り出していったという形みたい


そうなんだ! 社内では評判じゃなかったとしても、世間では初めから人気が高かったキャラってことだよね


そうなるね。しかも、キティを始めとする自社キャラクターを投入させてから、わずか4年で売り上げが、18億から320億になったらしいよ


おぉぉ! サンリオ帝国の完成だね!


凄いよね~


そうか、でも、自分では売れないと思っていても売れる可能性があるってことだよね。よーしじゃあ、次の歴史の授業中にイラストを描いて、それを路上販売してみようかな。私も億万長者になっちゃうかもー♪


……いや、赤点ギリギリなんだから、真面目に歴史の授業を受けなよ~

《参考資料》
サンリオ公式ホームページ「沿革」
辻信太郎 著『これがサンリオの秘密です』
上前淳一郎 著『サンリオの奇跡』
明治大学商学部または各大学によるサンリオのビジネスモデル研究論文
渋沢社史データベース(山梨シルクセンター/サンリオ社史記録)

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この記事を書いた人

岩本和代

2016年よりフリーのライターとして活動中。 インタビュー取材、シナリオ執筆を得意としており、幅広く執筆をしている。