1962年7月2日、アーカンソー州ロジャースという小さな町にウォルマートの一号店がオープンしました。今日現在の店舗数1万955店舗、総売上高7130億ドル(約11兆4080億円)、時価総額1兆ドル(約160兆円)を誇る世界最大のリテールチェーンに成長したウォルマートは、どのようにして生まれ、どのような歴史を経て現在に至ったのでしょうか。ウォルマート創業者のサム・ウォルトンの生涯や、ウォルマート成長の理由などを中心に解説します。
目次
ウォルマート創業者サム・ウォルトン
ウォルマート創業者サムエル・ムーア・ウォルトン(Samuel Moore Walton、以下サム・ウォルトン)は、1918年3月29日にオクラホマ州キングフィッシャーに生まれました。両親は小さな牧場を経営していましたが家族を養うのに十分な収入が得られず、牧場を担保に牧場主にお金を貸す事業ローンの仕事や生命保険代理業などもしていました。サム・ウォルトンも、幼いころからそうした家業を手伝っていたそうです。
サム・ウォルトンが高校生になる頃に、家族はミズーリ州コロンビアへ引っ越します。高校時代も牛の乳しぼりや新聞配達などをして家計を助ける一方で、地元のボーイスカウトへ入会するなどリーダーとしての頭角を現し始めます。やがて地元のミズーリ大学へ進学し、優秀な成績を修めて経済学学士の学位を取得します。
大学在学時からリテールビジネスへの興味を持ち始めていたサム・ウォルトンは卒業後に大手百貨店のJCペニーへ入社し、リテールビジネスの基本的スキルを身に付けます。やがて第二次世界大戦勃発によりアメリカ陸軍へ入隊、陸軍情報部へ配属されます。陸軍には戦争終結まで在籍し、大尉にまで昇進します。戦争終結した1945年、サム・ウォルトンは軍隊を退役してリテールビジネスを興します。
「ベン・フランクリン」のフランチャイズ店を購入
民間人に戻ったサム・ウォルトンが1945年9月に始めたリテールビジネスは「ベン・フランクリン」のフランチャイズ店でした。アーカンソー州ニューポートの店舗を2万5000ドルで購入したのです。「ベン・フランクリン」は当時の言葉で言う「バラエティストア」で、キッチン周りの日用品や衣料品、文房具、スナックなどを販売していました。ニューポートのような小都市を中心に出店し、当時流行り始めていたフランチャイズシステムにより全米に店舗数を増やしていました。
店舗経営を始めたサム・ウォルトンはたちまち経営手腕を発揮し、現在のウォルマートに繋がる「ロープライス戦略」などの手法を取り入れ、ニューポート店の売上を8万ドルから22万5000ドルにまで増加させました。
「ベン・フランクリン」ニューポート店の成功を皮切りに、サム・ウォルトンはアーカンソー州ベントンビル店も購入し、同店の売上も一年で倍以上に増加させます。「ベン・フランクリン」での経験は、やがてウォルマートというディスカウントストアを生み出す源体験となるのです。
ウォルマート一号店のオープン
1962年までにサム・ウォルトンは、アーカンソー州、ミズーリ州、カンザス州の三州に合わせて15店の「ベン・フランクリン」を経営するまでに事業を拡大していました。一方、その頃になると「ロープライス戦略」を中心とするサム・ウォルトンの経営戦略と「ベン・フランクリン」の経営戦略が一致しないケースが顕著になってきたのです。わざわざ値段を下げなくてもそれなりに売れる「バラエティストア」の経営形態と、「よりロープライスであれば、顧客はもっとやってくる」という信念を抱き始めていたサム・ウォルトンの経営哲学の対立が露わになったのです。
1962年7月2日、サム・ウォルトンはアーカンソー州ロジャースにウォルマート一号店をオープンさせます。オープン時の店名は「ウォルマート・ディスカウントシティストア」で、最初からディスカウトストアを謳っていました。「ロープライス戦略」や「メーカー直仕入れ」などによる低価格と豊富な品ぞろえは直ちに消費者の心を捉え、「ウォルマート・ディスカウントシティストア」にはオープン直後から多くの客が押し寄せ、一気に繁盛店になります。「ウォルマート・ディスカウントシティストア」はその後店舗数を増やし、1968年までに18店を数えるまでに成長します。
ニューヨーク証券取引所へ上場
1969年10月になるとデラウェア州法人として正式に法人化、社名をウォルマート・ストアーズに変更します。翌年1970年10月にはニューヨーク証券取引所に上場、公開企業になります。その頃には運営店舗数51店、売上高7800万ドル(当時のレートで約280億80
00万円)にまで拡大、米リテール業界で一定のプレゼンスを示し始めます。また、同年には初の物流センターをアーカンソー州ベントンビルにオープンさせています。
ウォルマートはその後、進出州をルイジアナ州、オクラホマ州、テネシー州、ケンタッキー州、ミシシッピー州、テキサス州にまで広げ、1975年までに店舗数125店、売上高3億4030万ドル(当時のレートで約1225億円)に拡大させています。
ウォルマートは、ライバルのKマートやシアーズなどが狙わない小都市に出店する「地域ドミナント戦略」を採用し、人口が少ない過疎州を中心に市場シェア獲得に成功しています。「地域ドミナント戦略」の採用により競合との競争から逃れ、地域住民のロイヤルカスタマー化に成功するという「必勝パターン」を獲得したのです。
サムズクラブ1号店をオープン
快進撃が続く中、ウォルマートは1983年4月7日にオクラホマ州ミッドウェストシティに会員制ディスカウントストアのサムズクラブ1号店をオープンさせます。サムズクラブはキャッシュアンドキャリーと呼ばれる現金払い中心の大型店舗で、当時先行していたプライスクラブやコストコなどのウェアハウスクラブのビジネスモデルを真似たものです。一定額の会費を支払えば卸売価格のような安値で品物が購入できることから、当時のアメリカでトレンドになりつつあったのです。
サムズクラブもウォルマートと同様に主にアメリカ中北南部を中心に店舗数を増やし、M&Aなどによる競合企業店舗の買収などを経て、2025年時点でアメリカ、メキシコ、中国、ブラジルなどで600超の店舗を運営するに至っています。サムズクラブはウォルマートの海外進出の先駆けともなり、1996年4月に中国・深センにウォルマートグループ初の海外店舗をオープンさせています。
スーパーセンターのオープンと経営の近代化
ウォルマートは1980年から2000年にかけて店舗数を一気に増加させ、同時に経営の近代化を進めています。1985年にミズーリ州ワシントンに初のウォルマート・スーパーセンターをオープンさせ、超大型店舗時代の幕開けを告げます。それに合わせて全米の全店舗にPOS(Point of Sales)システムを導入、売上データや在庫データのリアルタイムでの共有を実現しています。また、通信衛星を使ったコミュニケーションネットワークも構築し、本部と各店舗とのビデオ通話やデータ共有システムなども導入しています。
20世紀の終わりを告げる1999年時点で、ウォルマートは運営店舗数3996店、売上高1650億ドル(当時のレートで約19兆4255億円)へ拡大させています。その頃にはウォルマートは、ついにアメリカ最大のリテールチェーンというステータスを獲得しています。
1990年代半ば頃からウォルマートは海外展開も加速しています。1996年4月に中国・深センにサムズクラブをオープンさせたのを皮切りに、中国各地で店舗を続けてオープンさせています。中国に加えて、カナダ、メキシコ、ブラジル、コスタリカ、グアテマラ、アルゼンチン、ドイツ、韓国などへも進出し、経営基盤をグローバルに拡大しています。2002年には日本の西友グループの株式を取得し、日本市場にも参入しています。
ウォルマート成長の理由
1945年に創業者サム・ウォルトンが購入したバラエティストア「ベン・フランクリン」に端を発し、1962年に一号店がオープンしたウォルマートは、60年超の歴史を経てアメリカのみならず、売上ベースで世界最大規模のリテールチェーンに成長しました。ウォルマートの成長の理由は何でしょうか。
第一の理由は、上述の通りウォルマートが、競合が出店しない小都市を狙って出店して市場シェアを獲得する「地域ドミナント戦略」を採用したことです。「地域ドミナント戦略」は、ウォルマートをインスパイアした「ベン・フランクリン」も同様に採用していた戦略で、創業者サム・ウォルトンは「ベン・フランクリン」をロールモデルにしたことは間違いありません。「地域ドミナント戦略」を採用することでKマートやシアーズといった強力な競合との競争を回避でき、地域ごとの市場シェアを積み増していけたのです。また、小都市に出店することで出店コストや運営コストを削減でき、結果的に「ロープライス戦略」を後押しできた点も見逃せないでしょう。
第二の理由はウォルマートの物流システムです。ウォルマート登場以前のアメリカのリテール業界は、仕入れの多くを卸会社に依存していました。店舗は複数の卸会社と取引し、発注も店舗ごとに行われるのが普通でした。
ウォルマートは、卸会社を経由せずにメーカーと直接取引を行い、仕入れは直接メーカーから本部が一括して行いました。メーカーはウォルマートの物流センターに商品を直送し、ウォルマートみずから物流センターから域内の店舗に自社トラックで配送する物流システムを構築したのです。それにより、卸会社に対して支払っていたマージンを負担する必要がなくなったほか、物流コストと在庫コストを大幅に削減出来たのです。
第三の理由は「ロープライス戦略」です。「ドミナント戦略」の採用や「新物流システムの構築」などにより、オペレーションコストが劇的に下がったウォルマートが採用した中核的戦略であり、ウォルマートがウォルマート足るアイデンティティとなった戦略です。他のスーパーマーケットなどがバーゲンセールなどの特売で一時的に一部の商品を値下げする一方で、ウォルマートはすべての商品をいつでもロープライスで購入できる「エブリデーロープライス」(Everyday Low Price)を謳い、実際に競合よりも価格を安く設定しました。
ウォルマートの「エブリデーロープライス」というスローガンはテレビCMなどでも繰り返し連呼され、消費者にとっての周知の事実となってゆきました。「エブリデーロープライス」は、現在のウォルマートにおいても受け継がれているDNAのような存在になっています。
第四の理由はテクノロジーへの投資です。ウォルマートと言えばガチガチのリテール企業というイメージが強いですが、実は古くから各種のテクノロジーへの投資を行ってきたテックサヴィー企業としても知られています。ウォルマートが早い段階から全店舗にPOSシステムや衛星コミュニケーションシステムを導入したことは上述の通りですが、それら以外にもバーコードスキャニングやEDIシステムなども業界に先駆けて導入しています。最近でもECを筆頭とするインターネット関連テクノロジーや、AI・ロボティクスを使った在庫管理システムなどにも投資を行い、競合企業をリードしています。テクノロジーへの投資を続けてきたことが、Amazonなどのインターネット勢力との闘いにおいてもウォルマートに互角のステータスを与えてきたのです。
まとめ:創業者サム・ウォルトンの思想を今も受け継ぐウォルマート
1992年4月5日、リトルロックのアーカンソー大学医学部付属病院で、サム・ウォルトンは74年の生涯を終えました。入院中のサム・ウォルトンは、亡くなる前日までウォルマート各店舗の売上などの数字に目を通し、経営状態をチェックしていたそうです。サム・ウォルトンの亡骸は、ウォルマートの本社裏にあるベントンビル墓地に葬られました。
亡くなる直前まで現場の数字を気にしていたサム・ウォルトンという経営者は、「ベン・フランクリン」時代の経験をベースに得た思想を支えにウォルマートの経営にあたってきました。その中心となったのが「顧客中心の思想」です。その思想を現わす有名な言葉に、次のようなものがあります。
「ビジネスを行う上でボスは一人しかいません。顧客です。顧客は自分のお金をほかの店で使うことでそのお店のすべての人をクビにすることができます。それゆえ、顧客満足度を維持し、価格を常にロープライスにし、ニーズに耳を傾けることが求められるのです」
こうしたサム・ウォルトンの思想を受け継いでゆく限り、ウォルマートが今後、世界リーダーのポジションを失う可能性は低いでしょう。サム・ウォルトンの思想は、今もウォルマートで生きています。
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《参考サイト・文献》
Walmart History
The history of Walmart: How one man built a retail empire
Sam Walton: Building Walmart
Britannica Money, Walmart
10 Rules for Building a Better Business
この記事を書いた人
前田健二
大学卒業後渡米し、ロサンゼルスで飲食ビジネスを立ち上げる。帰国後複数の企業の起業や経営に携わり、2001年に経営コンサルタントとして独立。新規事業立上げ、マーケティング、アメリカ市場進出のコンサルティングを行っている。アメリカのビジネス事情に詳しく、ライターとしてアメリカ発のニュービジネスに関する記事などを執筆、各種ウェブメディアに寄稿している。 米国のベストセラー『インバウンド マーケティング』(すばる舎リンケージ)の翻訳者。明治学院大学経済学部経営学科博士課程修了、経営学修士。






























