【登場人物】
りえ講師……31歳の女性。某公立大学講師として勤務。マーケティングのゼミを担当。博識で前向きだが、学生には「りえちゃん」と呼ばれており、中々講師扱いされていないのを気にしている。
こーた……20歳の男性。大学2年生。りえ講師が担当するゼミに所属している経済学部生。真面目さと適当さが絶妙なバランスの持ち主。りえちゃんはお気に入りの先生でもある。
あら、どうしたの?
アドビの更新だよ。フォトショを使おうと思ったんだけど、最近クラウドを開いていなかったから、勝手に更新が始まってさー
あぁ、急いでいる時に災難ね。でも、なんでフォトショ?
来週、友だちの誕生日でさ。画像加工をお願いされたんだ
へー、今時って誕生日にそういうことも必要になるのね
まぁ、俺って頼れる男だからね
ふーん。じゃあ、自動更新が始まって退屈しているであろう生徒に、私の講義をちゃんと聞いているかの確認をしようかな
そ、そういうのは……あんまり……
アドビの話が出たので、アドビにしよう。アドビを作った人は誰?
それならわかるよ。ジョン・ワーノック博士とチャールズ・ゲシキ博士でしょ
すごい! まさか答えられるとは思ってたかった
これでもアドビのことは好きだからね
じゃあ、その2人が知り合った場所は?
え?
そんなに好きなら、それぐらい調べたでしょ? まさか、知ってるのは創業者の名前だけってことはないわよね?
えーっと、前にどこかで聞いたような……
答えはXerox社よ。この会社は何の会社か分かるわよね?
えーと……
Xerox社は世界初のコピー機……複写機を開発・商業化したアメリカを代表する巨大事務機器メーカーよ。でも、コピー機だけではなくって、現代のパソコンの基礎を作った伝説の企業とも言われているわね
へー! でもそこで知り合ったってどういうこと?
……本当に何も分かっていなかったのね。ワーノック博士とゲシキ博士はこの会社のパロアルト研究所に勤めていて、同僚だったのよ
あ! そういうこと!
2人はその中でも画像科学研究所に所属していて、インタープレスと呼ばれるページ記述言語……つまり、プログラミング言語ね。これを研究・開発していたの
あ、待って。この話、りえちゃんの講義で聞いた気がしてきた
そうね。同じ話をしているからね
……顔が怖い。でも、思い出したよ。2人の博士がこの研究所で、画像をそのままの状態で美しく印刷するためにはどうすればいいかを開発していたんでしょ
そう、この当時はまだ、コンピューターの画面に表示されている複雑なグラフィックや様々なフォントを、そのまま正確にプリンターに伝える仕組みがなかったのよ
だから研究開発をしていた。そして、それを作り上げた。けれど、Xerox社の経営幹部はダメだって言ったんだよね
えぇそうよ。ワーノック博士とゲシキ博士の2人が作ったインタープレスを組み込めば、安いコピー機でも綺麗な画質のものをプリントアウトできてしまうからね。だから、インタープレスは自社の高級なコピー機や大型印刷システムだけ使って、売上を伸ばしたいと思っていたのよ
でも、2人は、この素晴らしい技術を眠らせておくのはもったいない! 早く世に出して、みんなにも使って欲しいって思って、Xerox社をやめて2人でアドビを作ったんだよね!
それが1982年のことね。創業後は研究所で作っていたものよりも、シンプルかつ洗練されたものを作ろうと思って開発。そしてそれが出来た時に、世間に出したのが「Adobe postscript」よ
でもさー。この話を聞く前まで、AdobeってMacとかiPhoneを作ったAppleの会社の人が、独立をして作った系列会社なのかと思ってたんだよね
確かに、AdobeとAppleは密接な関係があるわ。けど、順序が逆よ
順序?
いい? ワーノック博士とゲシキ博士はどんなコピー機に搭載しても綺麗な画質のプリントアウトができるシステムを作った。けれど、これを一般公開することをXerox社は認めなかった
うん、そこまでは理解してるよ
だから、ワーノック博士とゲシキ博士は、他社からコピー機を購入して、デザイン会社や印刷所向けに超高画質な印刷サービスを行なおうとしたの。でも、出資者やアドバイザーから、印刷サービスじゃなくて、どんなメーカーのプリンターでも動く共通言語として、ライセンス販売をしたらどうかと言われたのよ
それって、今のAdobeがしていることだね
そうね。ワーノック博士とゲシキ博士はアドバイスを受けて、初めからライセンス販売に考えを変えたのよ。で、1983年。まだ開発途中ではあったものの、postscriptのデモを行って、それを見たAppleのジョブズが目を付けた
あ! そういうことか。ジョブズは完成前とはいえ、完成寸前のところでpostscriptを見つけたから、Appleが作ったわけじゃないってことだね
えぇ。ただ、ジョブズはpostscriptに可能性を感じたから、500万ドルでAdobeの買収話を2人に持ちかけたの
え……2人の博士はなんて答えたの?
きっぱりと拒否
カッコいい!
でも、ジョブズは欲しいものは手に入れる人だから諦めきれずに、Adobeが有利になるような条件を付けた。2つあるんだけど、何だと思う? ちなみに、講義では話しているわよ
う……わからない
でしょうね。1つ目はAppleがAdobeの株の約20%を250万ドルで購入。2つ目はpostscriptのライセンス使用料として150万ドルを前払いというものよ
え? 500万ドルで買収しようとしてたのに、400万ドル出して、買収しないってこと?
そうよ。これだったら、AdobeもOKっていうわよね
めちゃくちゃいい条件じゃん! まぁ、20%の株は買われてるけど
でも、ジョブズのおかげで、Adobeはシリコンバレーの歴史上初、創業1年目で黒字化したスタートアップの会社になったのよ
凄い! まぁでも、ジョブズに気に入られるぐらいだから、それほど凄い製品を初めから作っていたってことだもんね
そうね
そういえばさ、Xerox社は何も言ってこなかったの? Xerox社がしたくなかったことをAdobeがしたんだし、それを作ったのは元社員だし
良い質問ね。でも、法的な訴訟を起こしたり、表だって文句を言ったりしたという記録は残ってないわ
そうなんだ。意外! Xerox社の人たちって、結構いい人たちだったんだ
いい人たちかどうかは分からないけど、ワーノック博士とゲシキ博士がちゃんと対策を取っていたと言った方がいいかも
2人の博士は何をしてたの?
Xerox社を去る時に、インタープレスのソースコードは一切持ち出さなかったのよ
え? じゃあ、また1から作ったってこと?
そうよ。それでも1度作ったことはあるから、どうすれば、どうなるのかの記憶だけはあるし、完全に0からというわけではないけどね。だけど、当時の法律や知的財産権の観点から見ても、コードそのものを盗んでいない以上、Xerox社が著作権侵害でAdobeを訴えることは出来なかったのよ
はー! なるほど。その辺りはちゃんと考えてたってことかぁ
それと、Xerox社は、2人がAdobeを作ったと聞いた時に、ライセンス販売を始めたと知っても、ソフトウェアビジネスの膨大な価値を理解していなかったから、「何してるんだあいつら」ぐらいにしか思っていなかったそうよ
だから潰せるときに潰そうという気にもならなかったってわけか
だけど、ジョブズがAdobeに巨額の出資を行ったのを見て考えが変わったみたいね
え?どうしたの?やっぱり妨害?
いいえ。元社員たちが作ったAdobeは優良株かもしれないと思って、Adobeに出資したの
えぇっ!? そっち!?
そうよ。そして今も、Xerox社はAdobeの主要な株主になっているわ
いやいや、だって元々はXerox社の研究所で作っていたはずのソフトを、わざわざお金を出して使ってるって……
思うところはあるわよね、きっと。でも、今では世界標準になってるから、今さら……ってのもあるし
すごいね。でもさ、Adobeっていったら、PDFとかフォトショとかイラレでしょ? これはどういうタイミングで出てきたの?
そうねぇ、PDFの話をしましょうか。これが出てきた背景には、文字化け・レイアウトが崩れる、フォントがない、同じアプリが必要という問題が出てきたの
それってどういうこと?
1990年代に入ると、デジタル文書のやり取りが増えたんだけど、word、一太郎、各種デザインデータとかね。でも、Macで作ったものを、Windows搭載のパソコンに送ると……
そういうことか! 未だにMacとWindowsって、相互システムのやり取りが上手くいかないよね
でも、世界の全員がMacを使うわけでもないし、Windowsを使うわけでもないでしょ。それに、出来たものを確認するだけであっても、イラレで作ったものはイラレがないと見れないし、wordで作ったものはwordがないと見れない
確かに……。さっき言ってたフォントというのも、そういうことだね
えぇ、つまりこれは、作った本人が使っているパソコンでしか、正しい見た目が保障されていないということよ
うわぁ、それは大変っていうか、仕事にならなくない? 印刷したものを提出するならいいけど……
でも、印刷だとコストがかかるでしょ? だからワーノック博士は考えたの。どのパソコンで見ても、完全に元のレイアウトのまま見ることができれば、人々の働き方も変わるんじゃないかって
あ! ペーパーレス化か
当時のワーノック博士が、そこまで考えていたかはわからないけどね。でもキャメロット・プロジェクトと名付けて開発に取り組んだのよ。そして1993年にPDFが発表されたんだけど、最初は全く売れなかったのよね
そうなんだ。でも、画期的なものだと思うけど
そうなんだけど、有料だったのよ。当時は50ドル……その時代のレートで考えると、5500円ぐらいね。書類を見るためだけにお金を払いたくないという意見が多かったの
5500円か。確かにいい値段するよね。でも、見るだけでも大事だと思うけど……それはもうPDFに慣れてしまってるから、そう思うのかな?
そうだと思うわよ。でもAdobeの対応も早くって、翌年の1994年にリリースしたacrobat2.0では、閲覧ソフトacrobat readerを完全無料化にしたの。そしてちょうどこの時期ぐらいから、インターネットが爆発的に普及したということもあって、取扱説明書とか公的書類を配るための定番ツールとして一気にシェアを広げたのよ
タイミングもばっちりだね
でもそれだけじゃないのよ。Adobeがすごいのは、PDFを世界標準にしたことよ
え?
無料版のPDFはもうAdobeのものではないということよ
えっ! そうなの!?
PDFを使うのが政府とか大企業になって来たんだけど、民間企業であるAdobeに依存したファイル形式を使い続けるのは問題があるという話になったの。そこでAdobeはPDFの利権を独占するのをやめて、仕様のすべてのコントロール権をISOに譲渡。これによって、人類共通のオープンな資産となって、マイクロソフトやGoogleなどの企業は、Adobeに許可を取ることなく自由に独自のPDF作成ソフトや閲覧ブラウザを開発できるようになったというわけね
そうだったんだ。でもPDFイコールAdobeのイメージは持ったままだけどね。無料開放もそこまで行くと凄いよね。しかもそれをしても、十分に利益は得ているわけでしょ
そうよ。これもマーケティングよね
たしかに
でもAdobeには美しいお話もあるのよ。それがillustrator
え? どういうこと?
illustratorは元々、商品として作られたものではなくって、社内用のフォント制作・編集ツールだったの
そうなんだ。でもそれが美しい話?
ワーノック博士の妻マーバさんは、Adobeのグラフィックデザイナーだったのよ
あ! もしかして……
そう。妻の働く姿を見て、デザイナーたちの仕事の助けになるようなソフトウェアを、社内用のフォント制作・編集ツールを基礎にして作れないかと思ったのがきっかけ
へー! じゃあ、ワーノック博士の奥さんがグラフィックデザイナーじゃなかったら、illustratorはできてなかったかもしれないんだ
そういうことね。あとはPhotoshopね。実はこれ、初めに開発したのはAdobeじゃないのよ
そうなの?
ノール兄弟が考えたものなのよ。兄のトーマスはデジタル画像処理の研究をしていて、弟のジョンは特撮スタジオで視覚効果の仕事をしていたの。ジョンは兄の研究を見て、コンピューターで画像を加工するのは映画の特撮で使えるかもと思ったのがきっかけ。ジョンがどんどんアイデアを出して、トーマスがプログラムを改良し続けていったのよ
へー! それでどうやってAdobeに?
ジョンがAdobeにデモを見せに来たのよ。それを見たワーノック博士はすぐに気に入って、ライセンス契約……販売権の取得を即決。そして1990年にAdobePhotoshop1.0をデビューさせたのよ
そうだったんだ。なんか、PDFもフォトショもイラレもみんな違う流れっていうのも面白いね
そうでしょ。ってわけで、レポートだけど……
それ、定番化してるの嫌なんだけど……
大丈夫。いつもは私が話した内容をレポートにしなさいって言ってるけど、今回は違うから
それって……
Adobeには大きな事件があったの。それはApple社とマイクロソフト社との争い。これについて、レポートを書いてきて
え! ちょっと待って、それは全く話として聞いていないやつだよね
たまにはいいでしょ。よろしくねー
あっ、ちょっと待ってよ、りえちゃ~ん
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《参考資料》
アドビ公式ブログ(日本版)
Adobe Corporate History youtube.com(公式)
YouTube上のAdobe公式チャンネル
この記事を書いた人
岩本和代
2016年よりフリーのライターとして活動中。 インタビュー取材、シナリオ執筆を得意としており、幅広く執筆をしている。






























