ハーバード大学の学生寮の一室で産声をあげ、当初はハーバード大学の学生向けソーシャルネットワークサービスとして使われていたFacebook 。ハーバード大学外にサービスを解放するやたちまち人気を博し、あっという間にソーシャルネットワークサービスのリーディングカンパニーへと成長、現在もそのポジションを維持しています。本記事は、Facebook誕生から現在に至るまでの歴史をわかりやすくまとめて紹介します。
目次
ハーバード大学の学生寮で生まれたFacebook
Facebookは、2004年2月にマーク・ザッカーバーグを中心とする5人のハーバード大学の学生が立ち上げたソーシャルネットワークサービスです。ザッカーバーグは当時19歳、ニューヨークの富裕なユダヤ人家庭出身の大学生二年生でした。
ハーバード大学で心理学とコンピューターサイエンスを専攻する傍ら、寮の自室に籠って各種のプログラミングに没頭していた「プログラミングオタク」のザッカーバーグは、ある時寮に住む学生の写真を二人分ずつ公開し、「どちらがよりホットか」を投票で競い合うオンラインアプリを開発、Facemashと名付けました。Facemashはハーバード大学内ネットワークに公開されるや直ちに大人気となり、ネットワークのブレーキスイッチが発動せざるを得ないほどアクセスが集中したのです。
Facemashはハーバード大学の学生の間で大きな人気を呼んだものの、掲載される人の写真の掲載許諾を取っていなかったことなどが問題視されるなどし、間もなく閉鎖されてしまいます。しかし短命に終わったFacemashの開発経験は、ザッカーバーグにとって後のFacebook誕生の出発点となったのです。
Facebookの誕生
公開からわずか数時間で記録的なアクセスを集めたFacemashの経験は、ザッカーバーグに「オンラインでソーシャルインタラクション(社会的な交流環境)」を提供するアプリに対するニーズが膨大に存在する可能性を暗示しました。一方その頃、ハーバード大学には学生の個人情報を記録した学生名簿「Facebook」が紙ベースで使われており、ザッカーバーグは、それを紙ではなくオンライン版にして、誰でも利用できるネットワーキングプラットフォームにするというアイデアを思いつきました。
ザッカーバーグは、エデュアルド・サヴェリンら四人の同級生に声をかけ、「オンライン版Facebook」の開発を持ちかけました。意気投合した五人は手分けをして開発を行い、2004年2月4日にオンライン版Facebookが晴れて誕生しました。五人はTheFacebook.comというドメインでサイトをハーバード大学の学内ネットワーク限定で公開しました。
誕生したばかりのオンライン版Facebookの機能は、原始版と呼ぶべきバージョンにふさわしく限定的でした。学生の氏名、プロフィール、友人関係、関係性がシンプルに表示されるに過ぎませんでした。しかし、公開からわずか24時間で1000人の学生が利用を申込み、その後も多くの学生がこぞって申し込んできたのです。
ハーバード大学外にも開放、拡大の始まり
当初はハーバード大学内限定でスタートしたFacebookですが、ハーバード大学での人気を見てザッカーバーグらは学外にも開放することを決断、スタンフォード大学、コロンビア大学、イェール大学などの大学にも順次開放してゆきます。立上げ翌年2005年5月までにアメリカ全国800の大学に開放され、Facebookを利用できるようになります。やがて開放の対象はアメリカ国外の大学にも及び、2005年12月までに利用者数が600万人を突破するまでに拡大しました。
主に大学を対象にしたソーシャルネットワークサービスとして成長を始めたFacebookですが、2006年に入ると開放の対象を大学以外にも広げ始めます。同年には大学以外で初めて企業のAppleとマイクロソフトの社員がFacebookを利用できるようになり、民間企業への開放が始まりました。さらに同年9月には13歳以上であれば誰でも自由に利用できるようになり、一般的なSNSとしての成長フェーズに突入しました。Facebookは、2008年から多言語化も始め、日本語を含む17言語でのサービス提供も開始しています。
「安全なSNS」としてのポジションを貫いたFacebook
ハーバード大学の学内SNSとして誕生し、学生用SNSとして他大学にサービス範囲を拡大、やがて民間企業へ開放して間もなく13歳以上の誰もが利用できるSNSとしてユーザー数を増やしていったFacebook。そんなFacebookはソーシャルネットワークサービスとしては「一番手」ではありませんでした。
Facebookが産声を上げた2004年、先行するMySpaceはすでに2500万人のユーザーを抱え、リーディングソーシャルネットワークサービスとしてのポジションを獲得していました。ところが、2008年までにFacebookはユーザー数でMySpaceを超えるまでに成長しています。一体、何がFacebook成長のドライバーとなったのでしょうか。
筆者は、群雄割拠の初期のソーシャルネットワークサービス市場において、Facebookが「実名主義」をベースにユーザーの信頼を獲得し、「安全なSNS」としてのポジションを獲得していったことが最大の成長ドライバーであると考えています。
ハーバード大学の学生名簿を創生の源としているFacebookは、当初から利用者に実名での利用を求めています。Facebookの実名主義は、Facebookが他大学へとサービス範囲を広げる際にも引き継がれ、一般ユーザーに完全開放されてからも変わりませんでした。匿名ユーザーや偽名ユーザーが跋扈する他のソーシャルネットワークサービスに辟易していたユーザーは、「安全なSNS」としてのFacebookへとマイグレート(移動)していったのです。
Facebookのシンプルでつかいやすいインターフェースも別の成長ドライバーです。MySpaceなどの他のソーシャルネットワークサービスと比べて、Facebookのインターフェースは非常にシンプルです。アプリケーションの世界では競合製品を凌ごうと様々な機能をインターフェースに加えようとしがちになりますが、Facebookは操作画面に必要最低限な機能しかありません。肥大化する他のソーシャルネットワークサービスのインターフェースに嫌気をさしてFacebookにマイグレートしたというユーザーは少なくないはずです。
ほかにも、ニュースフィードの機能や第三者による連動アプリ開発を促進したこと、ユーザーフレンドリーな広告配信戦略の採用といった要因が挙げられますが、それらが複雑に絡み合ってFacebookの成長を後押ししたというのが実態でしょう。
M&Aでさらなる規模拡大
2010年代に入ると、Facebookは一連のM&A(企業の買収・合併)を開始し、規模をさらに拡大させます。Facebookが行ったM&Aの中でも、もっともインパクトがあったのが2012年のInstagramの買収でしょう。
Instagramは、2010年にスタンフォード大学出身のGoogleエンジニアのケヴィン・シストロムと、同じくスタンフォード大学出身で新興SNSのMeeboエンジニアのマイク・クリーガーの二人が設立した写真共有ソーシャルネットワークサービスです。
当時人気だったFoursquareに触発されたシストロムがスマートフォンで撮影した写真をチェックイン(撮影場所や時間などの情報を投稿する機能)付きで共有できるソーシャルネットワークサービスのアイデアを発案、実現に向けてクリーガーに協力を依頼しました。写真共有とチェックイン、他ユーザーによる「いいね」ボタン、簡単なコメントといった機能に限定したシンプルなアプリケーションは創設者二人の不眠不休の努力により、構想からわずかの間で誕生しました。当初「Burbn」と名付けられていたSNSは、「Instagram」と改名されて2010年10月6日にリリースされ、公開されるやたちまち大人気を博する結果となったのです。
突如現れたSNS界の新星Instagramは、世界中のユーザーに強烈なインパクトを与えただけでなく、競合するSNSにも大きな関心と警戒心を抱かせました。当時飛ぶ鳥を落とす勢いで成長を続けていたTwitter(現X)もそのうちの一社です。Instagramの可能性に早くも目を付けたTwitterのデック・コストロCEO(当時)は、シストロムとクリーガーに対して5億ドル(当時のレートで約465億円)でTwitterの子会社になるというオファーを提示しました。そのオファーに対しシストロムは「Instagramを、誰も買収できないような巨大な企業にしたい」との理由で断っています。
Facebookもまた、Instagramに早くから目を付けていました。InstagramをFacebookの潜在的な脅威であると見なす一方で、買収することで得られるシナジー効果に賭けたザッカーバーグCEOは、当時従業員数わずか13名の売上ゼロの会社に対して、3億ドルのキャッシュと7億ドル相当のFacebook株式の、合計10億ドル(当時のレートで約930億円)で買収するオファーを提示したのです。シストロムとクリーガーの二人はこの破格のオファーを受け入れ、InstagramはFacebookの子会社となったのです。
Instagram以外にも、Facebookはこの時期、メッセージングアプリのWhatsAppを190億ドル(約1兆7677億円)で、VRシステム開発のOculusVRを20億ドル(約1860億円)で買収するなど、合わせて7社の企業を買収しています。
社名をMeta Platformsに変更
2021年10月28日、開催中のFacebookコネクト2021でザッカーバーグCEOは、社名をFacebookからMeta Platforms(略称Meta)へ変更すると発表しました。社名変更の理由についてザッカーバーグCEOは、会社の事業がWhatsAppやInstagramなどFacebook以外にも及んでおり、それらの事業をすべて包括する社名にすべきであること、および会社のリーチを、ソーシャルメディアを越えてバーチャルリアリティにまで延長するためだと説明しています。
ザッカーバーグCEOはまた、会社の事業を今後はメタバースをメインに進めてゆきたいとの意向を示し、メタバース構築および関連事業への事業シフトとリソース投入を進める考えを表明しています。
メタバース(Metaverse)とは、SF作家ニール・スティーブンソンが発案したコンセプトで、ギリシャ語のMeta(超越した)とUniverse(宇宙)を組み合わせた造語です。著書「スノー・クラッシュ」(In Snow Crash)で、スティーブンソンは仮想現実(バーチャルリアリティ)が現実レベルにまで進化した架空の世界を描いており、人間がゴーグルとイヤホンを装着することで仮想現実へ入れるとしました。
ザッカーバーグCEOが実現を目指すとしたメタバースも、VRデバイスなどのヘッドセットを装着した人間が自らのアバター(分身)をもって仮想空間へ入り、仕事、ショッピング、旅行、他人との交流などが行えるとしています。人間は現実空間で生活するとともに、仮想空間でも生活をし、活動範囲を宇宙レベルの無限大に拡大できるとしたのです。
実際にMetaは、社名変更した2021年から2025年までに、同社のリアリティ・ラボ経由で累計500億ドル(約7兆9000万円)もの巨額の投資を行っています。しかし、現時点までにリアリティ・ラボ事業は未だに売上を計上しておらず、投資資金を回収できていません。
ザッカーバーグCEOによるメタバースへの巨額投資は「賭け」に過ぎず、同氏はその賭けに負けつつあるとする声も少なくありません。しかし、ザッカーバーグ氏は、過去のパソコンからスマートフォンへのプラットフォームシフトが起きたように、スマートフォンからVRへのプラットフォームシフトが生じるタイミングを待っているという声もあります。仮にVRへのプラットフォームシフトが生じれば、その時点でMetaは競合を大きく引き離すことが可能になるポジションに位置しているのです。
まとめ・ハーバード大学の学生名簿からメタバース企業へ
ハーバード大学の学生名簿からアイデアが生まれ、ハーバード大学の学生用ソーシャルネットワークサービスとして誕生したFacebook。ハーバード大学の垣根を越えて他大学へもサービス提供範囲を広げて一般化が進み、最終的には世界各国に開放されて瞬く間にリーディングソーシャルネットワークサービスのポジションを獲得しました。2026年4月時点、Facebookのアクティブユーザー数は30億人にまで達しています。
Meta Platformsへ社名変更してから直近2025年度末の売上高は2009億7000万ドル(約31兆7422億円)、営業利益833億ドル(約1兆3161億円)となっています。マーク・ザッカーバーグら五人のハーバード大学性が立ち上げた事業は驚異的に成長し、今日時点で時価総額1兆8400億ドル(約290兆円)の超巨大企業になったのです。時価総額では世界トップ9に位置する堂々たるメガテック企業です。
一方、メタバース事業を展開するリアリティ・ラボは赤字が続き、今のところ黒字化の目途はたっていません。Metaのメタバース事業の今後については様々な見方があり、今後当面は様子見をせざるを得ないでしょう。
いずれにせよ、ゼロから生まれた事業が世界トップレベルの大企業になったサクセスストーリーは、より多くの人が知っておくべき歴史的事実です。Metaの22年の歴史においては、数えきれないほどのドラマが数多くの人間の努力や知恵を背景に生み出されてきたのは間違いないのです。
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《参考サイト》
Britannica Money, Facebook
Britannica Money, Instagram
A brief history of Facebook as a media
Why Facebook Triumphed Over All Other Social Networks
The Inside Story of How Facebook Acquired Instagram
Facebook changes its name to Meta in major rebrand
この記事を書いた人
前田健二
大学卒業後渡米し、ロサンゼルスで飲食ビジネスを立ち上げる。帰国後複数の企業の起業や経営に携わり、2001年に経営コンサルタントとして独立。新規事業立上げ、マーケティング、アメリカ市場進出のコンサルティングを行っている。アメリカのビジネス事情に詳しく、ライターとしてアメリカ発のニュービジネスに関する記事などを執筆、各種ウェブメディアに寄稿している。 米国のベストセラー『インバウンド マーケティング』(すばる舎リンケージ)の翻訳者。明治学院大学経済学部経営学科博士課程修了、経営学修士。

























