【米国スタートアップ列伝 Vol.9】コーヒー文化不毛の地発の世界ブランド「スターバックス」

前田健二

自由の女神が微笑む緑地に白色の円形ロゴ。今やアメリカだけでなく主要先進国に親しまれているグローバルブランドとなったスターバックス。長らくコーヒー文化不毛の地とされてきたアメリカで、スターバックスはどのように誕生し、どのような過程を経て現在の地位を獲得したのでしょうか。本記事ではスターバックスの歴史について、その成長の秘訣とともにわかりやすくお伝えします。

シアトルで誕生したスターバックス

スターバックス・コーポレーションは、1971年3月30日にジェリー・ボールドウィン、ゼヴ・シーゲル、ゴードン・バウカーの三人のUCバークレー(カリフォルニア大学バークレー校)大学院同級生が共同で設立したコーヒー豆・コーヒー製造機器卸売企業に端を発するコーヒーハウスチェーンです。設立当初は今のようなコーヒーハウスではなく、コーヒー豆などを店頭で販売する小売・卸業者でした。

三人は、UCバークレー在学時代に行きつけにしていた、起業家アルフレッド・ピートが1966年にバークレーにオープンさせたプレミアムコーヒー豆販売店に触発されて、同様のプレミアムコーヒー豆販売ビジネスを立ち上げたとされています。ピートは当時コーヒー文化不毛の地とされていたアメリカにヨーロッパのコーヒー文化を伝えた一人とされている人物です。ピートはスターバックス創業者の三人にコーヒー豆の焙煎方法などの基本を惜しみなく教えた、スターバックス誕生の影の立役者です。

なお、スターバックス(Starbucks)という名前は、アメリカの文豪ハーマン・メルヴィルの古典「白鯨(モビー・ディック)」の作中に登場する捕鯨船一等航海士「スターバック」から付けたとされています。

プレミアムコーヒー豆販売店として立ち上がったスターバックスは、立上げから10年間はそのビジネスを堅持し、地元民に愛される存在としてポジションを確立していきました。

スターバックス登場前のアメリカのコーヒー事情

話を先に進める前に、スターバックスが登場した1970年代以前のアメリカのコーヒー事情について説明しておく必要があります。アメリカでは1950年頃から大手コーヒー豆メーカーによるコーヒーの大量販売・大量消費が一般化し、コーヒーと言えば大型の缶に詰められた、あらかじめ挽いてあるコーヒー豆というかたちで一般に流通していました。消費者の多くはコーヒーに味の良さなど特に求めておらず、家庭や職場に設置された大型のコーヒーメーカーでいつでも好きなだけ飲める「その程度の味」とされているのが当たり前でした。消費者はコーヒーの味よりも量と安さ、そして手軽さを求めており、メーカーはそれに答えて大量供給を行うといった市場が形成されていたのです。

そこに上述のアルフレッド・ピートらが登場し、アメリカにヨーロッパ式のハイクオリティコーヒーの存在を教え始めます。オランダ移民のピートは、当時のアメリカで斬新だった「ローストしたてのコーヒー豆」や、オランダ領スマトラ島産の「ディープローストしたコーヒー豆」などを紹介し、自分の店で小口にして販売し始めました。ピートらが販売したプレミアムコーヒー豆は、味の違いがわかるアメリカ人を中心に次第に支持を広げ、アメリカにプレミアムコーヒー豆の新市場を誕生させる直接のきっかけになったのでした。

ピートから薫陶と直接の教えを受けたボールドウィン、シーゲル、バウカーの三人のUCバークレー大学院生がプレミアムコーヒー豆販売店「スターバックス」を立ち上げ、アメリカのプレミアムコーヒー豆市場拡大のドライバーのひとつとなったのは既述の通りです。なお、スターバックス立上げ当初、三人が販売用コーヒー豆をピートから仕入れていたのは有名な話です。

ハワード・シュルツの登場

シアトルでプレミアムコーヒー豆とコーヒー製造機器の販売に専念していたスターバックスは順調に売上を伸ばし、創業から10年後にはコーヒー製造機器販社としても全米で屈指の数字を挙げるようになりました。ちょうどその頃、スターバックスはある重要な人物との出会いを果たすことになります。ハワード・シュルツという人物です。

ハワード・シュルツは1953年7月にニューヨーク・ブルックリンで生まれたビジネスマンです。貧しいユダヤ人家庭に生まれたシュルツは高校卒業後ノーザン・ミシガン大学へ進み、コミュニケーションの学位を取得します。大学卒業後ゼロックスへ入社したシュルツは三年後にスウェーデンの調理機器メーカーのハマープラストにヘッドハントされます。ハマープラストでコーヒードリップ容器の販売を担当することになったシュルツは、同社のコーヒードリップ容器を尋常以上に買っている店の存在に気づきます。シアトルのスターバックスという店でした。

一体何が起きているのか?自分の目で確かめるべく、シュルツはシアトルへ飛び、スターバックスを訪問します。そして、一目でその可能性を見抜いたシュルツは翌年1982年にスターバックスに転職し、リテールオペレーション・マーケティング担当ディレクターとして活躍を開始します。シュルツ29歳の時でした。

余談になりますが、シュルツが創業期のスターバックスに遭遇してコミットするようになり、やがて中興の祖として活躍してゆくことになるくだりは、創業期のマクドナルドに偶然出会ってコミットし始め、やがて中興の祖となったレイ・クロックのケースと驚くほど酷似しています。いずれもアメリカを代表するグローバルブランドとなったのですが、成長過程に似た部分があることは、必ずしも偶然の結果だけではないように思います。

「プレミアムコーヒー豆販売店」から「イタリアンコンセプトコーヒーハウス」への転換

スターバックスへ転職後、シュルツが行った一連の活動をひと言で言い現わすと「プレミアムコーヒー豆販売店」から「イタリアンコンセプトコーヒーハウス」への転換と言えるでしょう。シュルツは転職翌年にイタリアのミラノを訪れ、現地のエスプレッソバーなどの視察を行っています。帰国後、シュルツは創業者のボールドウィンとバウカーに、メニューにイタリア風のエスプレッソ系ドリンクを追加するよう説得し、了承させます。しかし、パイロット販売の数字は良好だったものの、エスプレッソマシンの価格とメンテナンスコストの高さに閉口したボールドウィンとバウカーはシュルツと対立し、結果的にシュルツは1985年にスターバックスを去ることになります。

スターバックスを退職したシュルツは、イタリアのエスプレッソバーのドリンクメニューを加えた新コンセプトのコーヒーハウス「イル・ジョルナーレ」(Il Giornale)をオープンさせます。イル・ジョルナーレはエスプレッソやラテといったイタリアンスタイルのメニューが好評となり、たちまち人気を博しました。現在のスターバックスのオリジナル版とも言うべきイル・ジョルナーレはその後、出身母体のスターバックスを買収することになります。

スターバックスが公開しているオープン当初のイル・ジョルナーレのメニューを見てみると、「本日のコーヒー」のすぐ下に「エスプレッソ」「エスプレッソ・マキアート」「カプチーノ」といった、現在のスターバックスでお馴染みのアイテムがすでにレギュラーメニューとして扱われているのが目につきます。ドリンクのサイズも「ソロ」「デュピオ」となっていますが、現在のスターバックスのメニューがイタリア語表記になっているのもこの頃の名残であると思われます。

イル・ジョルナーレが本家スターバックスを買収、新生スターバックス誕生

1987年にはイル・ジョルナーレは店舗数を三店舗に増やし、本家スターバックスもシアトル市内に六店舗を構えていました。イル・ジョルナーレの勢いを見て思うところがあったのか、創業者ボールドウィンとバウカーはスターバックスをイル・ジョルナーレに売却することを決断、シュルツがかき集めてきた380万ドル(当時のレートで5億4948万円)を支払い、売買が成立しました。買収完了後、イル・ジョルナーレは社名をあらためて「スターバックス」とし、新生スターバックスが誕生しました。

新生スターバックスは、直ちに出店攻勢を開始します。これまでシアトル市を中心に店舗を運営してきたのに加えて、初めてシアトル以外のシカゴやカナダのバンクーバーなどに新規出店し、店舗数を右肩上がりで増加させ始めます。1989年までにスターバックスは、アメリカ西海岸北部を中心に、店舗数を46店にまで拡大させます。

IPOとさらなる拡大攻勢

スターバックスは1992年6月にNASDAQへIPO(株式上場)を果たします。IPO時の運営店舗数は140店、総売上高7350万ドル(約102億9000)万ドル、時価総額2億7100万ドル(約379億4000万円)でした。IPOで得た資金をもとに、スターバックスはさらなる拡大攻勢を進めます。

1994年にマサチューセッツ州を基盤とするコーヒーハウスチェーンのコーヒー・コネクションを買収し、23店舗を取得するとともに同チェーンの最大の売りである「フラペチーノ」ドリンクの販売権も手にします。今では定番となった「フラペチーノ」は、この時からメニューアイテムに追加されます。

1999年にはサンフランシスコを拠点とするコーヒーハウスチェーンのパスクワ・コーヒーを買収し、60店舗を取得します。2003年には当時最大のライバルであったシアトルズ・ベストコーヒーを買収、150店舗を取得します。さらに2006年にはコーヒーピープルを買収、40店舗を取得します。

相次ぐM&A攻勢とともにスターバックスは各地で新規出店も進め、スターバックスの店舗数は指数関数的に増加してゆきます。2026年5月19日時点のアメリカのスターバックスの店舗数は1万6822店で、出店している都市数は3846に及んでいます。

スターバックス成長の秘訣は?

シアトルで創業したプレミアムコーヒー豆販売店が、半世紀の時を経て全世界で4万1129店舗を運営する巨大コーヒーハウスチェーンに成長したことには、驚きを越えてほとんど奇跡に近いものを感じます。いったい、何がスターバックス成長の秘訣だったのでしょうか。

まず挙げられるのは、ハワード・シュルツが掲げたスターバックスの「サードプレース」(Third place、第三の居場所)というコンセプトがアメリカの消費者の支持を得たことでしょう。「家庭」「職場」に続く第三の居場所としてスターバックスを定義し、店の造作から家具などの調度品までコンセプトを統一し、お客にとって居心地が良く歓迎されている感にあふれた環境を提供、イタリアのライフスタイルである「カフェ文化」を、コーヒー文化不毛の地アメリカで開花せることに成功したのです。

次に挙げられるのは「ピープルファースト」に象徴されるスターバックスの企業文化です。スターバックスは、従業員を大切にする企業として知られています。現場のスタッフは「パートナー」と呼ばれ、重要なステークホルダーとして扱われています。会社から大切な存在として扱われている「パートナー」は、会社へのロイヤルティを高め、顧客サービスにもおのずからコミットするようになります。スターバックスのスタッフは総じてフレンドリーな人が多いですが、スターバックスの「ピープルファースト」カルチャーが根底に流れているのです。

ライセンス契約による出店戦略の巧みさも挙げられるでしょう。スターバックスの店舗の大半はスターバックスが直接運営する直営店ですが、全体の48%はライセンス契約による店舗です。ライセンス契約は、空港、駅、大学、病院、書店などのパートナー企業がスターバックスにライセンスフィーを支払い、スターバックスを運営する仕組みです。直営店舗よりもスピーディーにスムースに開店できるライセンス契約の巧みな活用によって、スターバックスの指数関数的な店舗数増加が実現できたのです。

まとめ:スターバックス成長の最大の秘訣は「ハイクオリティ」

以上、スターバックスの歴史について、成長の秘訣とともに解説しました。スターバックスの歴史を端的に言うとすれば、「コーヒー文化不毛の地アメリカにイタリア式のカフェ文化を持ち込み、新たなアメリカの文化として普及させた」となるでしょう。29歳でスターバックスへ転職し、翌年には自らミラノへ飛んで現地を視察したシュルツの目には、「このカフェ文化こそ、これからのアメリカに必要なものだ」と映ったことは間違いないでしょう。

ところで、スターバックス成長の秘訣をいくつか上述しましたが、それらを包括している最大のものがあります。それは、スターバックス成長の最大の秘訣は「ハイクオリティ」であるということです。スターバックスは、コーヒー豆の小売・卸売店としてスタートした時から「ハイクオリティ」なコーヒー豆を販売し、成長のドライバーにしてきました。そのカルチャーは、シュルツ時代においても着実に受け継がれ、スターバックスイコールハイクオリティというイメージを構築することに成功しました。「ハイクオリティ」のカルチャーが受け継がれる限り、スターバックスの市場リーダーとしての地位が揺るぐことはないでしょう。

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《参考サイト・文献)》
Our Company
Britannica Money, Starbucks
The History of Starbucks
Number of Starbucks stores in the United States in 2026
Starbucks Global Impact Report
Starbucks: Reasons for Success

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この記事を書いた人

前田健二

大学卒業後渡米し、ロサンゼルスで飲食ビジネスを立ち上げる。帰国後複数の企業の起業や経営に携わり、2001年に経営コンサルタントとして独立。新規事業立上げ、マーケティング、アメリカ市場進出のコンサルティングを行っている。アメリカのビジネス事情に詳しく、ライターとしてアメリカ発のニュービジネスに関する記事などを執筆、各種ウェブメディアに寄稿している。 米国のベストセラー『インバウンド マーケティング』(すばる舎リンケージ)の翻訳者。明治学院大学経済学部経営学科博士課程修了、経営学修士。