1975年4月5日、ニューメキシコ州アルバカーキで、あるスタートアップ企業が設立されました。設立当初はMITS社のマイクロコンピューター用ソフトを開発し、やがてIBMのパソコン用オペレーティングシステム、Windows、マイクロソフトオフィスといった各種のソフトウェアでパソコンの世界を席巻、瞬く間に世界一のソフトウェアメーカーの地位を獲得したマイクロソフトという会社を知らない人はいないでしょう。マイクロソフトのこれまでの歴史をわかりやすくまとめ、マイクロソフトの強さの理由を考察してみました。
目次
ポール・アレンとビル・ゲイツの二人が設立したマイクロ・ソフト
1974年冬のある日、大手メーカーのハネウェルでプログラマーとして働いていたポール・アレンは、ニューススタンドで科学雑誌「ポピュラー・エレクトロニクス」の特集記事を見つけ、それに釘付けになっていました。世界初のパソコンとされるMITS社のアルテア8800を紹介する記事に圧倒されたアレンは直ちにその雑誌を購入し、高校時代からの親友ビル・ゲイツに見せたのです。記事を読んだゲイツも興奮し、二人で何らかのアルテア8800用プログラムを開発しようと意気投合したのです。ゲイツは当時ハーバード大学に通うコンピューターオタクの二年生でした。
アルテア8800は、インテルの8080CPUをベースに開発され、安価なマイクロプロセッサをベースに作られたことから当時の汎用的なコンピューターよりも価格が大幅に安く、多くの人にとって手が届く「世界初のパーソナルコンピューター」とされたマシンです。アレンとゲイツの二人は、アルテア8800の登場に低価格のパーソナルコンピューターの時代の到来を感じ、自らそこへ飛び込もうと考えたのです。
アレンとゲイツはアルテア8800がオペレーティングシステムや各種のプログラムが付随していない「純粋なハードウェア」として販売されていたことに注目し、まずはアルテア8800上で各種のプログラムを稼働させるためのプログラム言語「アルテアBASIC」を開発しました。
それまでのコンピューターの世界では、プログラムはプログラマーがそれぞれのハードウェアにマシン語と呼ばれる低水準言語で個別に命令を書き込み、動作させるのが一般的でした。一方、「アルテアBASIC」が搭載されたアルテア8800であれば、一度プログラムを書けば繰り返し利用できるようになったのです。「アルテアBASIC」の開発とともに二人は正式に会社を立ち上げ、「マイクロ・ソフト」(Micro-Soft)と名付けました。マイクロソフトの歴史の始まりです。
IBMパソコンのオペレーティングシステムを開発
「アルテアBASIC」の成功により、社名をマイクロソフトに改めた会社は成長を開始します。ゲイツはハーバード大学を中退し、マイクロソフトの仕事に専念します。マイクロソフトは「アルテアBASIC」に続いて、Apple BASIC、コモドールBASICなどの各ハードウェア用BASICプログラムを提供し、業績は順調に拡大します。
1980年7月、アレンとゲイツの二人は大手コンピューターメーカーIBMからアプローチされ、同社が開発中のパーソナルコンピューター用オペレーティングシステム開発のオファーを受けます。二人はシアトル・コンピュータープロダクツのティム・パターソンが開発したオペレーティングシステムを10万ドル(当時のレートで約2267万円)で買い取り、「MS-DOS」と名付けてIBMに納入することに成功します。
MS-DOSは40ドル(約9068円)という、当時の水準からすると驚異的な安値で販売されたことなどから爆発的に売れ、世にIBMパソコンを普及させる強力なドライバーになりました。MS-DOSを搭載したIBMパソコンは、純正品とともに互換機も大量に売れ、徐々にパソコンの世界のデファクトスタンダードとなってゆきます。
オペレーティングシステム以外のソフトの販売を開始
MS-DOSの成功によりマイクロソフトの業績は拡大し、パソコン用ソフトウェアメーカーのリーダーのポジションを獲得します。1985年11月にはMS-DOSの後継バージョンのマイクロソフトWindowsがリリースされ、後に長らく続くWindowsオペレーティングシステムの歴史が始まります。翌年1986年にはNASDAQにIPOを果たし、新たな成長フェーズへ突入します。
その頃からマイクロソフトはオペレーティングシステム以外のソフトウェアの販売も開始しています。1986年にはワープロやスプレッドシートなどをセットで提供するオフィス用ソフトのマイクロソフトワークスをリリース、1989年に後継バージョンのマイクロソフトオフィスの販売を開始します。同じころ、マイクロソフトはリレーショナルデータベースシステムのマイクロソフトSQLサーバーもリリースしています。
1990年5月、マイクロソフトは後に業界のゲームチェンジャーと呼ばれることになる新オペレーティングシステムのマイクロソフトWindows3.0をリリースします。Windows3.0はグラフィックユーザーインターフェースが特徴のオペレーティングシステムで、視覚的にユーザーフレンドリーな環境を提供する画期的な製品です。それまでのオペレーティングシステムがテキストのコマンドベースで稼働していたのに対し、Windows3.0はユーザーが画面を見ながらマウスクリックで各種のプログラムを起動させることができるのです。
Windows3.0は一週間に10万セットが売れる大ヒットとなり、マイクロソフトの歴史において長らく名を刻む金字塔となったのです。
スティーブ・バルマーという男
マイクロソフトの歴史は、スティーブ・バルマーという男を抜きにしては語れません。スティーブン・アンソニー・バルマー(Steven Anthony Ballmer)は、1956年3月にミシガン州デトロイトで生まれたビジネスマンです。ゲイツと同じくハーバード大学で数学を学び、ゲイツの同級生であり親友です。ハーバード大学卒業後プロクター・アンド・ギャンブル(P&G)へ入社し、アシスタントプロダクトマネージャーとして勤務します。やがてゲイツに誘われて1980年にマイクロソフトへ入社します。
MS-DOSの供給で多忙極まっていたマイクロソフトにおいて、バルマーはゲイツの代わりに営業や業務オペレーションのマネージャーとして力を発揮します。そして2000年にゲイツの後任として正式にマイクロソフトのCEOに就任します。
CEO在任中のバルマーの功績は枚挙に暇がありません。オペレーティングシステムではWindows XPを世界的に普及したオペレーティングシステムへ成長させ、続くWindows7も同様に成功に導きました。また、Windows NTのリリースを皮切りにネットワークOSを強化し、Windows ServerやマイクロソフトSQL Serverの市場シェアを大きく広げ、マイクロソフトのサーバー製品推進の先導者となりました。また、ワードやエクセルなどのオフィス製品のシェア拡大にも多大な貢献をしています。
バルマーは、マーケティングの仕組みが存在していなかったマイクロソフトにP&G流のプロダクトマーケティングスキームと強力なマーケティングマインドを持ち込み、マイクロソフトを強固なマーケティング集団へと変貌させました。ソフトウェアをまるで一般消費者向け製品のように扱い、消費者にマイクロソフトの製品の存在を知らしめ、広く認知させたことはバルマーの大きな功績です。
バルマー在任の結果、年商は2000年時点の230億ドル(当時のレートで約2兆4787億円)から2013年までに三倍以上の780億ドル(当時のレートで約7兆9014億円)に増加し、時価総額も同様に拡大しています。バルマーは、創業者ビル・ゲイツが設立したマイクロソフトの中興の祖であり、同社の第二フェーズの成長を牽引した立役者です。
サティア・ナデラのCEO就任
スティーブ・バルマーがマイクロソフトの「中興の祖」であるとすれば、後任CEOのサティア・ナデラは「マイクロソフトの改革者」とすべきでしょう。
サティア・ナデラ(Satya Nadella)はインドのハイダラーバード出身のインド人です。インドの大学卒業後、ウィスコンシン大学ミルウォーキー校へ進み、コンピューター工学の学位を取得します。後、シカゴ大学でMBAを取得、サンマイクロシステムズに就職、1992年にマイクロソフトに転職します。
マイクロソフトではWindows NTの開発やサーバー製品のプロダクトマネジャーなどを務め、特にサーバー製品のビジネス拡大に貢献します。マイクロソフトのエンタープライズビジネス拡大の立役者として評価されたナデラは、2014年にバルマーの後任としてマイクロソフトの三代目CEOに就任します。
オペレーティングシステムを筆頭にオフィス製品、ネットワーク製品などのソフトウェアの製造販売を主たる業務としてきたマイクロソフトは、誰もが認める「PCソフトウェアメーカー」でした。ところが、2000年頃よりインターネットの世界的な普及が始まり、コンピューティングの世界はそれまでの「パソコン中心」からインターネットを介した「クラウドコンピューティング」へとパラダイム転換が始まっていました。ナデラは、そうしたコンピューティングの構造変換に気づき、マイクロソフトを新たなパラダイムへシフトさせることに成功します。
ナデラの功績でもっとも評価されるべきは、マイクロソフトAzure(アジュール)事業の確立でしょう。マイクロソフトAzureは、マイクロソフトが提供する世界最大級のパブリッククラウドプラットフォームです。各種のアプリケーション、ストレージ、AIなどのサービスをインターネット経由で利用でき、マイクロソフトオフィスなどのマイクロソフト製品との親和性の高さが大きな特徴です。
Azure事業の確立により、マイクロソフトはエンタープライズ製品の既存客を囲い込みながらクラウドコンピューティングへシフトすることに成功し、さらに収益モデルを従来のパッケージ販売ベースから従量課金やサブスクリプションへ移行させることにも成功しました。Azureを中心とする「インテリジェント・クラウド」セグメントの直近2025年度の売上高は1063億ドル(約16兆7954億円)に達し、マイクロソフト全体の売上高の37.7%を占めています。
まとめ:マイクロソフトの強さの理由
設立当初から成長を開始し、踊り場を一度も経験することなく拡大し続けてきたマイクロソフトですが、その強さの理由は何でしょうか。
第一はマイクロソフトが当初からプラットフォームを独占できたことです。マイクロソフトは、創業期にIBMのパソコン用オペレーティングシステム供給の仕事を獲得し、それに集中することで事業の基盤を築きました。IBMのパソコンは互換機を含めて爆発的に売れ、MS-DOSはパソコン用OSのデファクトスタンダードになりました。
IBMパソコンというプラットフォームを独占できたことは、後に続くWindowsオペレーティングシステムやオフィス製品、ネットワーク・サーバー製品の売り上げ拡大を実現する基盤となりました。
第二はコンピューティングのパラダイムシフトごとに最適なリーダーを選任できたことです。創業期からWindows3.0リリースまでのオペレーティングシステム開発全盛期では、創業者ビル・ゲイツのリーダーシップにより製品開発にリソースを集中投入し、他社の追撃を許しませんでした。
主力事業のオペレーティングシステムからオフィス製品やサーバー製品などのアプリケーションへとシフトするフェーズでは、P&G出身のスティーブ・バルマーが二代目CEOに就任し、辣腕をふるいます。製品ごとにプロダクトマーケティングを導入し、それぞれの売上を最大化することに成功します。
コンピューティングがインターネットとクラウドコンピューティングへとシフトするフェーズではサティア・ナデラが三代目CEOに就任します。ナデラはAzureを中核にした製品エコシステムを実現することに成功、収益モデルの転換も果たします。ナデラの尽力により、マイクロソフトはパブリッククラウドコンピューティングの重要なプレーヤーとしての新たなポジションを獲得しています。
第三は事業戦略の巧みさです。マイクロソフトは各種のソフトウェアのメーカーですが、すべてのソフトウェアを自前でスクラッチから開発したわけではありません。創業当初IBMに供給していたMS-DOSは他社が開発したものをベースにしていますし、主たるオフィス製品のワードやエクセルにしても、いずれも他社が開発した製品をモデルにしています。サーバー製品の多くも、他社が開発したものの二番煎じや三番煎じです。マイクロソフトは、製品ごとに最適な戦略を組み立て、着実にリーダーの座を獲得していった戦略の妙に優れているのであり、その結果多くの製品市場でデファクトスタンダードとなっているのです。
マイクロソフトは、IBMとの提携という大きなチャンスを活かしてビジネスの基礎を築き、その基礎をベースに各種のソフトウェア製品を市場に投入、戦略の妙をもってリーダーの地位を獲得しました。コンピューティングがクラウドコンピューティングへパラダイムシフトする中で巧みに転換を成し遂げ、今もなお世界最強のITプラットフォーマーの地位を確たるものにしています。そして、それぞれのフェーズにおいては最適人材と呼ぶべき逸材が、それぞれ辣腕をふるっていたのです。筆者はマイクロソフトという会社を「幸運をベースにした努力と能力の結晶のような会社」であると表しています。
《参考サイト》
A Brief History of Microsoft – The Worlds Biggest Software Company
Microsoft is born
Microsoft founded
What is Brief History of Microsoft Company?
Annual Report 2025 Continue to Shareholder Letter
What is Azure?
この記事を書いた人
前田健二
大学卒業後渡米し、ロサンゼルスで飲食ビジネスを立ち上げる。帰国後複数の企業の起業や経営に携わり、2001年に経営コンサルタントとして独立。新規事業立上げ、マーケティング、アメリカ市場進出のコンサルティングを行っている。アメリカのビジネス事情に詳しく、ライターとしてアメリカ発のニュービジネスに関する記事などを執筆、各種ウェブメディアに寄稿している。 米国のベストセラー『インバウンド マーケティング』(すばる舎リンケージ)の翻訳者。明治学院大学経済学部経営学科博士課程修了、経営学修士。
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