パソコンユーザーであれば、アメリカを代表する老舗半導体メーカーのインテルの名前を知らない人は少ないでしょう。1968年に二人の技術者が立ち上げたスタートアップ企業はコンピューティングのパラダイムシフトと歩調を合わせて成長を遂げ、やがて世界最大規模の、もっとも影響力のある半導体メーカーのひとつになりました。インテルという会社がどのように生まれ、どのように成長したのか。概要をわかりやすくお伝えします。
目次
二人の半導体エンジニアが設立したインテル
インテル・コーポレーション(Intel Corporation)は、1968年7月18日にゴードン・ムーアとロバート・ノイスの二人がカリフォルニア州マウンテンビューで立ち上げた半導体メーカーです。二人とも別の半導体メーカーのフェアチャイルド・セミコンダクター出身で、ノーベル物理学賞受賞者ウィリアム・ショックレーが設立したショックレー半導体研究所を集団退社してフェアチャイルド・セミコンダクターを立ち上げた、いわゆる「裏切り者の八人」と呼ばれた人物です。
ムーアとノイスの二人がフェアチャイルド・セミコンダクターを辞めた理由については明らかにされていませんが、業績がうなぎ登りでも社内体制が官僚主義的になっていたフェアチャイルド・セミコンダクターの社風に嫌気がさし、より自由に半導体の開発を行う環境を求めたものと推察されています。
二人は当初「NM(ノイスとムーアの頭文字)エレクトロニクス」という社名で会社を設立しましたが、その年末までにインテルに変更しています。インテル(Intel)は、インテグレーテッド・エレクトロニクス(Integrated Electronics)から付けたとされています。
「半導体メモリーの開発」から事業スタート、マイクロプロセッサーの開発へ
設立当初のインテルの事業は「半導体メモリーの開発」でした。当時は、主流だった磁気コアメモリーから半導体メモリーへの切り替えが始まっており、二人は大きなビジネスチャンスがあると考えたのです。
設立翌年の1969年に記念すべき第一号製品「3101SRAM」の販売を開始し、次いで「3301ROM」「1101SRAM」「1103DRAM」を相次いでリリースします。中でも1970
年にリリースされた「1103DRAM」は、当時主流のメインフレームコンピューターのメモリーとして採用されたこともあって爆発的に売れ、インテルの会社黎明期の事業基盤を固める結果をもたらしました。
半導体メモリーの開発とともに、インテルはマイクロプロセッサーの開発にも着手します。1971年に世界初の商用マイクロプロセッサー「インテル4004」をリリース、コンピューティングの歴史における重要なターニングポイントをもたらします。
マイクロプロセッサーとは、各種のIC回路をひとつの半導体チップに集積的に収めたものです。マイクロプロセッサー誕生以前のコンピューターには、「計算する回路」「命令を解釈する回路」「データを移動する回路」などの機能別の別個のICが搭載され、計算などの命令を実行していました。そのため、当時のコンピューターは非常に大型で、部屋いっぱいになるのが当たり前でした。
マイクロプロセッサーの誕生により、そうした各種の機能がひとつの半導体チップに収められ、コンピューターの大幅な小型化を実現するとともに高性能化と低価格化を実現させることになったのです。それはやがて起きるパソコンブームの震源となり、Windowsのオペレーティングシステムとインテルのマイクロプロセッサーがセットで搭載される「ウィンテルPC」の世界的普及という結果をもたらすことになるのです。
マイクロプロセッサーの本格的な開発が始まる
「インテル4004」のリリースにより、マイクロプロセッサーメーカーとしてのインテルの歴史が始まります。4ビットマイクロプロセッサーの「インテル4004」は当初、パソコンではなく主に電卓用マイクロプロセッサーとして使われ、機能もパワーも限定的でした。
インテルは1972年4月に世界初の8ビットマイクロプロセッサー「インテル8008」をリリース、業界に衝撃を与えます。「インテル8008」は「インテル4004」よりもパワフルで処理速度が速いだけでなく、後にパソコンの世界を席巻する「X86シリーズ」の設計上の基礎となったマイクロプロセッサーです。「インテル8008」を搭載したコンピューターは、それまでに比べてより多様なアプリケーションを実行させることが可能となり、後のパソコン時代の幕開けをもたらすことになります。
1974年には後続の「インテル8080」が登場します。「インテル8080」は「インテル8008」をよりパワフルに、よりフレキシブルにしたシリーズです。処理能力は「インテル8008」の10倍に向上し、拡張性の高いアーキテクチャによりさらに多様なハードウェアでの利用が可能になりました。なお、ビル・ゲイツと朋友ポール・アレンに衝撃を与え、パソコンソフトウェア作りの世界へ身を投じさせることになった伝説のマイコン「アルテア8800」は、「インテル8080」を搭載していました。
「インテル8008」そして「インテル8080」の登場により、本格的なパソコン時代がスタートすることになりました。それとともに、それまで「半導体メモリーメーカー」としてのポジションを確立していたインテルに、マイクロプロセッサー開発をメイン事業にするターニングポイントをもたらすことになったのです。
「インテル8086」の登場
1978年、インテルはコンピューティングの世界を一変させることになるマイクロプロセッサー「インテル8086」をリリースします。「インテル8086」は16ビットマイクロプロセッサーで、「インテル8080」よりもさらに高速でフレキシブルなシリーズです。後に「X86」シリーズと呼ばれ、世界中に普及したIBM互換パソコンに搭載されることになる一連のマイクロプロセッサーの原型となったシリーズです。
始まりはIBMによる「インテル8086」の採用でした。勃興しつつあったパソコン市場を独占するべく、IBMは安価で小型、高性能のパソコンを市場に投入する計画を開始していました。そのIBMパソコンに「インテル8086」の廉価バージョンが採用され、利用が一気に広がったのです。「インテル8086」はIBMの純正パソコンだけでなく、クローンと呼ばれたIBM互換パソコンにも搭載され、マイクロソフトのWindowsと合わせて世界中のパソコンで標準的に使われるデファクトスタンダードになりました。
「インテル8086」は、1982年に「インテル80286」、1985年に「インテル80386」、1989年に「インテル80486」をそれぞれリリースし、世界中のIBM互換パソコン標準搭載のマイクロプロセッサーとしての地位を固めました。なお、「インテル8080」から始まる「X86」シリーズは、その後もPentiumシリーズに名前を変えてバージョンアップを重ね、現在に至っています。
IBMパソコンと運命を共にした「X86」シリーズ
上述の通り、インテルは「インテル8086」シリーズの廉価バージョンをIBMパソコンに供給し、IBMパソコンの市場寡占と歩調を合わせて販売数量を指数関数的に拡大してきました。では、なぜIBMパソコンに「インテル8086」シリーズが採用されたのでしょうか。
パソコン勃興期の1980年頃、IBMは当時コンピューティングの世界で一般的だったメインフレームコンピューターとミニコンピューターの市場を独占していました。それに風穴を開けるようにApple、タンデム、コモドールなどの新興企業のパソコンが台頭し、市場を奪い始めたのです。新興企業による市場侵食スピードは思いのほか速く、危機感を持ったIBMは対抗するため自前のパソコンを投入する必要に迫られたのです。
自前のパソコンを開発するにあたり、IBMは搭載するマイクロプロセッサーの選定を行いました。当初候補に挙げられたのはインテルのライバル企業、モトローラの「モトローラ68000」でした。「モトローラ68000」は、Appleのマッキントッシュやコモドールのアミガコンピューターにも搭載されるなど、ハイパフォーマンスマイクロプロセッサーとしての評価を得ていました。
しかし、「モトローラ68000」は「インテル8086」シリーズよりも高性能である一方、供給実績がないというマイナス面がありました。IBMの大量販売戦略に合わせた供給能力が疑問視され、「インテル8008」時代から実績があるインテルに白羽の矢がたてられたのです。
また、「インテル8086」シリーズの方が「モトローラ68000」よりもアーキテクチャ的にフレキシブルであった点も評価されたようです。「インテル8086」シリーズは、マザーボードなどのパソコン部品との互換性が高く、比較的旧式の廉価な部品でも動作するという利点がありました。それゆえ、パソコンの販売価格を競合製品よりも安く設定したいというIBMの戦略に上手く当てはまったのです。
市場寡占を目指すIBMのパソコン販売戦略とインテルのマイクロプロセッサーは合致し、実際に市場を寡占することになるのは周知の通りです。インテル側の視点で見ると、インテルが「インテル8008」シリーズから培ってきたマイクロプロセッサー開発の経験とノウハウが、IBMパソコンに最適フィットして大きな果実へと結実したことになるでしょう。
インテル成長の秘訣は?
では、そんなインテルの成長の秘訣は何でしょうか。第一に挙げるべきは、インテルが設立当初の主たる事業であった「半導体メモリーの製造」に固執せず、事業の幅を「マイクロプロセッサーの開発」へと広げたことです。
上述の通り、インテルは当初、当時主流だった磁気コアメモリーから半導体メモリーへの切り替え需要にビジネスチャンスを見出し、半導体メモリー「3101SRAM」を開発、リリースしました。その後「3301ROM」「1101SRAM」「1103DRAM」を相次いでリリースし、「1103DRAM」のヒットにより事業基盤の構築に成功しました。
世の一般的な経営者であれば、収益をもたらし始めた半導体メモリーの製造に経営リソースを追加投入し、利益を最大化する戦略を採ることでしょう。しかし、インテルは経営リソースを、マイクロプロセッサー開発という別事業に投入し、その事業を発芽させ、大きな果実へと成長させることに成功したのです。この経営判断なり経営戦略の妙は最大限に評価すべきでしょう。
第二は、インテルがマイクロプロセッサーのエコシステム構築に成功したことです。インテルは「インテル4004」のリリースを皮切りに、「インテル8008」「インテル8080」などを相次いでリリースしてきましたが、特に「インテル8008」以後はアーキテクチャでの互換性を確保し、開発されたソフトウェアが新バージョンでも使えるようにするなど、「エコシステム」の構築に努力してきました。
「エコシステム」の構築は、IBMパソコンに供給された「インテル8086」シリーズにおいても持続的に行われ、結果的に競合企業にとって越えられない壁を築くことになりました。特にソフトウェア開発者にとっては、前バージョンのソフトウェアが新マイクロプロセッサーにおいても稼働するメリットは極めて大きく、エコシステムの外へ出ることを防ぐ結果をもたらしたのです。
第三はマーケティング戦略の巧さです。インテルは1991年から「Intel Inside」(インテル入ってる)キャンペーンを展開、PCユーザーに自社マイクロプロセッサーの認知を浸透させ、ブランドを構築してきました。マイクロプロセッサーという、製品の中に埋め込まれた製品は外から見えず、認知がしづらいですが、「インテル入ってる」のコピーを投げかけることで製品の存在を知らしめ、消費者に選択してもらいやすくしたのです。
他にも、製造戦略の巧さ、M&A戦略、人的資源管理の妙なども挙げられますが、そうした要素が複合的に絡み合い、結果としてインテルという企業を業界リーダーに押し上げたとするのが正しいでしょう。
まとめ:AI時代を迎えたインテルはどうなる?
AI時代を迎えた今、インテルは競合のNvidia、TSMC、ARMなどの台頭による業界再編のただ中にいます。ライバル企業の時価総額が年々増加する中、インテルはAI関連ビジネスにおいては後塵を拝しているようにも見えます。
生成AIのプラットフォームにおいてはCPUよりもGPUが使われるなど、インテルのマイクロプロセッサーが稼働するシーンが限定的であるようにも見えます。しかし、データセンターなどで使われるサーバーにおいてはインテルのマイクロプロセッサーが使われており、インテルは依然、一定のプレゼンスを確保しています。
インテルは現在、会社の基本構造を従来の製造業中心からファウンドリー事業へと転換しつつあります。かつて半導体メモリーメーカーからマイクロプロセッサー開発へと事業転換に成功したように新たにファウンドリー事業へと転換できるのか、インテルと言う会社の今後を多くの人が注目しています。
《参考サイト・文献》
Intel’s History
Britannica Money, Intel
Intel’s First Product – the 3101
BCG Matrix, Intel
この記事を書いた人
前田健二
大学卒業後渡米し、ロサンゼルスで飲食ビジネスを立ち上げる。帰国後複数の企業の起業や経営に携わり、2001年に経営コンサルタントとして独立。新規事業立上げ、マーケティング、アメリカ市場進出のコンサルティングを行っている。アメリカのビジネス事情に詳しく、ライターとしてアメリカ発のニュービジネスに関する記事などを執筆、各種ウェブメディアに寄稿している。 米国のベストセラー『インバウンド マーケティング』(すばる舎リンケージ)の翻訳者。明治学院大学経済学部経営学科博士課程修了、経営学修士。





























