テスラ(Tesla)|倒産まで3日の会社が世界一になるまで

wata9488

2008年12月24日、クリスマスイブ。アメリカでは誰もが家族と過ごすこの日の夕方、一つの小さな会社が静かに死にかけていた。

その会社の名前はTesla。電気で走る自動車を作ろうとしていたスタートアップ企業だ。設立から5年。まともな売上はほとんどなく、社員も数百人しかいない。

世界中の銀行や企業が次々と倒れていった2008年のリーマンショックが直撃し、Teslaの口座に残った資金は、あと3日でゼロになる計算だった。

CEOのイーロン・マスクは、もともとオンライン決済サービス「PayPal」を売って約200億円を手にした起業家だった。普通ならそれで一生遊んで暮らせる。しかしこの男は、その金のほぼ全額をTeslaと、もう一つの会社──ロケット開発のSpaceX──につぎ込んでいた。

2008年12月の時点で、マスクの個人口座はほぼ空。

家賃すら友人に借りる生活だった。

午後6時、電話が鳴った。投資家からの緊急資金、4000万ドル(約40億円)の入金完了の連絡だった。この金がなければ、クリスマスの翌日には倒産届を出すことになっていた。

「2008年は間違いなく、人生で最悪の年だった」

マスクは後にこの年をそう振り返っている。だが、ここからが本当の物語の始まりだ。この瀕死のスタートアップが、わずか12年後にトヨタを超えて世界で最も価値のある自動車メーカーになる。

なぜそんなことが可能だったのか。

答えを知るには、Teslaが生まれた日まで遡る必要がある。

第1章 電気自動車を「もう一度」作ろうとした男たち

1990年、カリフォルニアの大気汚染は深刻だった。

州政府は自動車メーカーに対し、販売する車の一定割合を排気ガスゼロの車にするよう義務づけた。この規制に対応するため、アメリカ最大の自動車メーカーGM(ゼネラルモーターズ)が作った電気自動車が「EV1」だ。

乗った人間の評判は上々だった。ところがGMはこの車を一台も「販売」しなかった。全てリース──つまり借りる契約──だけで、車の所有権は常にGMの手元に残る。

どんなに気に入っても、ユーザーが買い取ることはできない仕組みだった。

なぜ自分で作った車を売りたがらないのか。電気自動車が普及すると、困る人間がたくさんいたからだ。ガソリンを売る石油業界、エンジン部品を作るサプライヤー、そしてGM自身もだ。

何十年もかけて築き上げてきたガソリン車のビジネスモデルを壊すわけにはいかなかったのである。EV1は規制当局に「うちも環境を考えていますよ」と見せるためのポーズであり、本気で普及させるつもりの車ではなかったのだ。

2003年、GMや石油業界が州政府に圧力をかけ、この規制を骨抜きにしてしまう。EVを作る義務がなくなったGMは、すぐにEV1の全車回収に乗り出した。

「買い取りたい」と訴えるユーザーもいたが、全てリース契約で所有権はGMにあるから止めようがない。こうして回収されたEV1は一台残らずスクラップにされたのだった。

この出来事に怒った男が2人いた。マーティン・エバーハードとマーク・ターペニングという2人のエンジニアである。二人はバッテリーで走る車がガソリン車よりはるかにエネルギー効率が高いことをよく知っていた。

作れるのに作らない。

GMがビジネスの都合で電気自動車を葬り去るなら、自分たちの手で作るしかない。

こうして2003年7月1日、カリフォルニア州サンカルロスで「Tesla Motors」が誕生した。社名は、100年以上前に交流モーターの基礎を発明した科学者ニコラ・テスラから取っている。

ただし当時の状況は厳しかった。EV1のように評判の良い電気自動車は存在したが、GMに全車潰された以上、一般の消費者がまともな電気自動車に触れる機会はどこにもない。大手メーカーはどこも本気でEVを売ろうとしておらず、世間にとって電気自動車は「存在すら知らない」ものだった。

市場がないところに市場を作る。

できたばかりのスタートアップが、途方もない挑戦を始めようとしていたのだった。

翌2004年2月、この小さな会社に一人の男が加わる。イーロン・マスク、当時32歳。

PayPal売却益を手に、ロケット開発のSpaceXを立ち上げたばかりの起業家だった。エバーハードたちのビジョンに惚れ込んだマスクは、Teslaの資金調達のほぼ全額にあたる約6.5億円を一人で出資し、取締役会長に就任した。

この時点ではまだ6.5億円だったが、マスクが最終的にTeslaに注ぎ込む金額は約70億円にまで膨らんでいく。PayPal売却益の大部分を、一つの会社に賭けたことになる。

その賭けが正しかったのかどうか、答えが出るまでに5年以上かかる。

第2章 秘密の計画書

2006年8月、マスクはTeslaの公式ブログに一本の記事を投稿した。タイトルは「The Secret Tesla Motors Master Plan(テスラモーターズの秘密のマスタープラン)」。

「秘密」と銘打っておきながら誰でも読めるブログで公開するあたりが、この男らしい。

内容は驚くほどシンプルだった。

ステップ1、まず高級スポーツカーを作る。
ステップ2、その売上で手頃な価格の車を作る。
ステップ3、さらにその利益で、誰でも買える安い車を作る。
ステップ4、クリーンな発電手段も提供する。

たった4つのステップだ。

なぜいきなり安い車を作らないのか。当時の電気自動車用バッテリーは極めて高価で、最初から安い車を作ることは物理的に不可能だった。だからまず値段が高くても売れる高級車で利益を出し、その資金と技術の蓄積でコストを下げていくしかなかったのだ。

2006年の時点で、この計画を真剣に受け取った人はほとんどいなかっただろう。周りから見れば、従業員50人にも満たない無名の会社がブログに書いた夢物語にすぎない。

しかしこの先の20年間、Teslaはこのブログに書かれた通りの順番で製品を世に出していくことになる。誰にも相手にされなかったブログ記事が、実は世界を変える会社の設計図だったのだ。

第3章 最初の一台、そして裏切り

マスタープランのステップ1「高級スポーツカーを作る」──それを形にしたのが、最初の量産車「Roadster」だ。イギリスのスポーツカーメーカー、ロータスの車体をベースに電動化した車で、価格は約10万ドル(約1000万円)。停止状態から時速100キロまで3.9秒──当時のポルシェやフェラーリに引けを取らない加速力だった。

2008年2月、Teslaはついに最初の1台を世に送り出した。ポルシェに匹敵する加速力を持つこの車は、ガソリンを一滴も使わない。完全な電気自動車だ。GMに葬り去られて以来「遅くてダサい」と思われてきた電気自動車の常識を、Roadsterは正面から打ち砕いた。5年前に小さなオフィスで始まった挑戦が、ようやく形になった瞬間だった。

しかし、その歓喜の裏で、会社の中では取り返しのつかない亀裂が走っていた。Roadsterの開発コストは当初の見積もりを大幅に超え、会社の資金は猛烈な勢いで減っていた。この危機的な状況をめぐって、Teslaを作ったエバーハードと最大の出資者マスクの対立が激化。2007年8月にはマスクが主導する取締役会がエバーハードにCEO辞任まで要求したのだ。

しかもこの時アメリカはリーマンショックの真っただ中で、銀行ですら次々と潰れている。すでに資金が底をつきかけていたTeslaにとって、外から金を集めることは絶望的だった。

そのうえマスクは、もう一つ瀕死の会社を抱えていた。ロケット開発のSpaceXだ。2006年、2007年、2008年8月と、打ち上げに3回連続で失敗していた。車は売れず、ロケットも飛ばない。全財産はつぎ込み済みで、友人に家賃を借りるほど追い詰められていた。

転機は思わぬところから訪れた。2008年9月28日、3度の失敗で誰もが見放しかけていたSpaceXのロケット「Falcon 1」が、4回目の挑戦でついに宇宙に届いたのだ。この成功がNASAの目に留まり、12月には16億ドル(約1600億円)もの輸送契約を勝ち取ることになる。ロケットが飛んだことで「マスクにはまだ賭ける価値がある」という空気が生まれ、Teslaへの出資を渋っていた投資家たちも動き始めることになる。

そしてクリスマスイブの午後6時、あと3日で資金がゼロになるはずだったTeslaの口座に、4000万ドル(約40億円)が滑り込んだ。この金がなければ、Teslaはクリスマスの翌日に消えていた。

第4章 「負け組」からの逆転劇

クリスマスイブをギリギリで乗り越え、自らCEOの座についたマスクのもとに、2009年から思わぬ援軍が現れ始める。

最初に手を挙げたのはメルセデス・ベンツの親会社ダイムラーだった。Teslaが開発したバッテリー技術の性能に目をつけ、2009年5月にTesla株の約10%を5000万ドル(約50億円)で取得したのだ。

翌年にはトヨタも5000万ドルを出資し、電動SUVの共同開発で合意した。世界有数の自動車メーカーが2社続けて認めたことで、Teslaの技術力への信頼が一気に広がり始める。

民間だけではない。

石油依存からの脱却を掲げていたオバマ政権までもが、Teslaに4億6500万ドル(約465億円)の融資を決めたのだ。Teslaはこの資金で、かつてGMとトヨタが共同で運営していたカリフォルニア州フリーモントの工場を買い取る。ガソリン車の時代を象徴する工場が、電気自動車の生産拠点に生まれ変わったのだ。

2010年6月、TeslaはNASDAQ(アメリカの株式市場)への上場を果たした。アメリカの自動車メーカーが上場するのは1956年のフォード以来、54年ぶりのことだ。2年前につぶれかけていた会社が、ついに株式市場にまで降り立ったのだ。

それでもTeslaを認めない人間はいた。2012年、アメリカ大統領選に出馬した共和党のミット・ロムニーが、テレビカメラの前でTeslaを名指しして「負け組(loser)だ、税金の無駄遣いだ」と言い放った。

ロムニーが「負け組」と嘲笑ったその年、Teslaはマスタープランのステップ2にあたる高級セダン「Model S」を送り出し、この車がアメリカの自動車業界で最も権威あるMotor Trend誌の「Car of the Year 2013」に選ばれることになる。電気自動車としては史上初、しかも審査員全員一致という快挙を成し遂げたのだった。

更に翌2013年5月には、政府から借りていた4億6500万ドルを返済期限より9年も早く全額返済してみせるのであった。上場、受賞、そして全額返済。数年前に倒産寸前だった会社の、鮮やかな逆転劇だった。

「誇りに思ってもらえたら嬉しい」

返済を果たしたマスクが、アメリカの納税者に向けて発した言葉だ。同じ融資を受けたFordやNissanがこの時まだ返済を続けている中、Teslaは真っ先に、しかも9年も前倒しで完済してみせたのだ。「負け組」と呼ばれた会社が、耳を揃えて金を返してみせた。ロムニーへの、これ以上ない回答だろう。

第5章 地獄の生産ライン

Teslaにはもう一つ、巨大な壁が待ち受けていた。「量産」だ。良い車を設計できることと、それを何万台も同じ品質で作り続けることは全く別の能力を必要とする。

2016年3月、Teslaはマスタープランの最終ステップ「誰でも買える安い車」にあたるModel 3を発表した。価格は3万5000ドル(約350万円)、Roadsterの3分の1以下だ。世界中が待ち望んでいたのだろう。発表からわずか1週間で予約は32万5000台に達し、3週間後には40万台を超えた。Teslaの歴史を変える一台になることは、もはや誰の目にも明らかだった。

ところが、いざ生産が始まると全く追いつかなかった。2017年7月に生産ラインが動き出したものの、年末までに「週5000台」を目指していた生産は実際には週500台。目標のわずか10分の1だった。

原因はマスク自身にあった。「完全ロボット化」を掲げ、人間の手をほぼ使わずにロボットだけで車を組み立てる構想を打ち出していたが、ロボットは想定通りには動かない。部品の取り付けで手間取り、むしろ生産を遅らせるボトルネックになっていた。

「過度な自動化は間違いだった。人間は過小評価されていた」

テクノロジーの力を誰よりも信じているはずの男が、最後に頼ったのは人間の手だった。

マスクはフリーモント工場に文字通り住み込んだ。週120時間、1日17時間以上を工場で過ごし、ソファや机の下で仮眠を取っては生産ラインに戻る。5日間同じ服を着続けた。工場の床に一人で座り込むマスクの写真がネットに出回り、世界有数の資産家がコンクリートの床で夜を明かす姿は大きな話題になった。工場の建物だけでは生産ラインが足りず、外に巨大なテント型の仮設工場まで建てて組立ラインを増設するほどだった。

その甲斐もあってか、2018年6月末にはようやく週5000台の目標を達成できるようになり、量産地獄からは解放されたのであった。

しかしそんな休息も束の間、そのわずか2ヶ月後の8月にマスクがTwitterに「Tesla株を1株420ドルで非公開化することを検討している。資金は確保済み」と投稿したのだ。上場企業は3ヶ月ごとに業績を発表する義務があり、そのたびに株価が乱高下する。このプレッシャーから逃れたかったマスクの本音が滲んだ投稿だったが、「資金は確保済み」という一言が余計だった。

事実ではなかったのだ。

だがこの一言を信じた投資家たちが株を買い、株価は急騰してしまう。当然、アメリカの証券取引委員会(SEC)が黙っていなかった。「投資家を誤解させた」としてマスクは提訴され、取締役会長を辞任したうえ、Teslaとマスク個人がそれぞれ2000万ドル(約20億円)ずつ、合計4000万ドルの制裁金を支払うことで和解することになった。量産地獄を乗り越えた直後に、自らの口がまた新たな火種を生んでしまったのである。

第6章 空売り屋との戦争

Teslaが量産地獄やSECとの和解に追われていた頃、もう一つ別の戦いが水面下で進んでいた。Teslaの株価が下がることに賭けた男たちがいたのだ。他人から株を借りて先に売り、値下がりしたところで買い戻して差額を儲ける。いわゆる「空売り」と呼ばれる手法だ。彼らにとってはTeslaが潰れることこそが巨額の利益を意味していたのだ。

当時のTeslaはまだ年間の利益を安定して出せておらず、生産台数も大手の何十分の一しかなかった。にもかかわらず株価が高かったのは、投資家たちがTeslaの将来性に賭けていたからだ。空売り投資家たちはこれを「実力以上に持ち上げられたバブル」だと見ていた。ヘッジファンドと呼ばれる大口の投資ファンドのマネージャーたちがメディアに出ては「Teslaは破綻する」「マスクは詐欺師だ」と公言していたのである。

普通のCEOなら無視するか、弁護士に任せるだろう。だがマスクは自らTwitterで空売り投資家を名指しで挑発し始めた。

中でも象徴的だったのが、Tesla公式サイトで赤いサテン生地のショートパンツを売り出したことだろう。商品名は「Short Shorts」。英語で「short」には空売りという意味もあり、「お前たちの空売りは焼けるぞ」というジョークグッズの形をした挑発だった。価格の69.420ドルもふざけている。SECに提訴されるきっかけとなったあの「420ドル」とネットスラングの「69」を掛け合わせた数字で、懲りるどころか開き直っているとしか言いようがない。

この勝負がついたのは2020年のことだった。Tesla株は年間で740%以上の上昇を記録し、空売り投資家たちの損失は合計400億ドル(約5兆円)を超えた。一銘柄の空売り損失としては歴史上最大級である。Teslaは勝ち、ショートパンツは完売した。

第7章 テスラ・スピードで世界一へ

空売り投資家との戦いが続く裏で、Teslaはすでに次の手を打っていた。
2019年1月、中国・上海で巨大工場「ギガファクトリー」の建設が始まる。世界最大のEV市場で現地生産すれば輸送コストと関税を大幅に削減できるうえ、中国にとってもTeslaの進出は自国のEV産業を刺激する起爆剤であり、中国政府はTeslaを異例の厚遇で迎え入れたのだった。

外国企業として初めて100%独資の工場を認め、広大な土地を格安で提供し、許認可も驚くほど速く通したのだ。こうした後押しもあり、通常2〜3年かかる工場建設をTeslaはわずか168日で完了させてしまう。業界はこの常識外れのスピードを「テスラ・スピード」と呼ぶようになった。
そして2020年7月、ついにその時が来た。Teslaの時価総額がトヨタを抜き、自動車メーカーとして世界一に立ったのだ。

当時トヨタが3ヶ月で約240万台を生産していたのに対し、Teslaはわずか約10万台。台数では23分の1にすぎない。それでも投資家がTeslaに高い値段をつけたのは、今の生産台数ではなく、電気自動車とAIがもたらす将来の成長に賭けていたからだった。

この株価の急騰を、おそらく最も複雑な思いで見つめていたのがダイムラーだろう。2009年にTeslaが倒産しかけた時、5000万ドルで株の10%を買った、あのダイムラーだ。彼らは2014年にその株を7億8000万ドル(約780億円)で手放していた。

自社でEVを進める方針に切り替え、Teslaとの提携は役目を終えたと判断したのだ。5年で15倍以上のリターンだから、投資としては文句のつけようがない。

しかし売らずに持ち続けていれば、2021年には数兆円の価値になっていた。トヨタも同じ道をたどっている。2010年に5000万ドルで買ったTesla株を2017年までに全て手放した。2社合わせて約100億円だった投資は、持ち続けていれば数兆円に化けていたのだ。

そんなダイムラーやトヨタを尻目に、Teslaの勢いはまだ止まらない。2020年12月にはアメリカの主要株価指数S&P500に史上最大の銘柄として採用され、翌2021年10月にはレンタカー大手ハーツがTesla車10万台を一括注文したことをきっかけに、時価総額が1兆ドル(約100兆円)を突破する。

2010年にわずか17億ドルで上場した会社が、12年で1兆ドル。
あのクリスマスイブから数えれば、わずか13年の出来事だった。

第8章 日本の自動車業界に走った激震

2020年7月、Teslaの時価総額がトヨタを抜いた。その年の12月、日本自動車工業会の会見で豊田章男はこう言った。「EVだけが答えだという風潮は、間違いだと思います」。

100年かけて世界最大の自動車メーカーを築いた男の確信だった。

トヨタには確信する理由があった。1997年に世界初の量産ハイブリッド車「プリウス」を送り出し、ガソリンエンジンと電気モーターを組み合わせるという答えをとっくに見つけていたのだ。ハイブリッドなら既存の部品メーカーも生き残れる。ガソリンスタンドのインフラも使える。急激な変化ではなく、緩やかな移行。トヨタが選んだ道は、数十万人の雇用を背負う世界最大のメーカーとして、合理的だった。

だがTeslaがModel 3を主力に年間50万台の壁を突破し、中国のBYDが大幅に安いEVで世界市場を席巻し始めると、「合理的」だったはずの戦略が急速に色あせていく。トヨタは舵を切った。EV関連に4兆円の投資を発表し、2030年までに年間350万台のEV生産を掲げた。ホンダも2040年までに新車を全てEVか燃料電池車にすると宣言する。プリウスで「正解」を出したはずの会社が、その正解を自ら書き換えたのだ。

皮肉なのは日産だろう。2010年に発売した「リーフ」は量産EVとしてTeslaのModel Sより2年も早い。技術では先を行っていた。しかしリーフは「環境に良い実用車」として売られ、Teslaは「速くて、かっこよくて、欲しくなる車」として売られた。

結果はどうなったか。リーフの累計販売は約65万台。Teslaは600万台を超えた。電気自動車を普及させるために必要だったのは、技術力ではなかった。「この車に乗りたい」と思わせる力だった。

だが最も深刻な打撃を受けたのは、テレビに映ることのない人々だった。

ガソリン車は1台あたり約3万点の部品でできている。EVではそれが約2万点に減る。

エンジンが消え、トランスミッション(変速機)が消え、マフラーが消える。何十年もそれらを作り続けてきた町工場にとって、EVの普及は自分たちの製品がこの世から消えることを意味した。

日本には自動車部品の下請け・孫請けが数万社ある。EVシフトが進めば約8万人の雇用が失われるという試算もあった。ホンダは実際に、エンジン部品を作っていた栃木県の工場を閉じている。
カリフォルニアのガレージで生まれた会社が、1万キロ離れた日本の町工場の仕事を奪おうとしている。だが、この物語にはまだ続きがあった。Tesla自身にも、影が忍び寄っていたのだ。

第9章 光と影、そしてこれから

Teslaを何度も救ってきたのはイーロン・マスクだった。そしてTeslaを最も危うくしたのも、イーロン・マスクだった。

2022年10月、マスクはTwitterを買った。440億ドル(約6.4兆円)。「言論の自由を守る」と宣言して手に入れたのは、Tesla車やSpaceXのロケットを世界に直接発信できる、世界最大の拡声器だった。だがその代償は大きい。

買収資金の一部を作るためにTesla株を約230億ドル分売り払い、大量の売りが株価を押し下げた。「CEOが本業に集中していない」という批判も重なった。Tesla株はこの年だけで65%下落した。

拡声器は、やがてマスク自身に跳ね返ってくる。政治的な発言を繰り返すうちに、Teslaのブランドそのものが蝕まれ始めたのだ。電気自動車を選ぶ環境意識の高い層と、マスクが公然と支持する政治的立場はほぼ正反対だった。ヨーロッパではTeslaの不買運動が広がり、アメリカでもTesla車への放火や破壊行為が相次いだ。

ショールームが襲撃される事件まで起きている。CEOの言葉が車の売上を左右する——Teslaは、そういう会社になっていた。

それでもマスクは止まらない。

2023年11月、発表から4年越しとなる「Cybertruck」の納車がようやく始まった。ステンレスの塊のような無骨な姿は好みが真っ二つに分かれたが、注目を集めたことだけは間違いない。

翌2024年10月にはハンドルもペダルもない完全自動運転車「Cybercab」を発表。2025年6月にはテキサス州オースティンでロボタクシーの試験運行に踏み出した。

Teslaは「自動車メーカー」から「AI・ロボティクス企業」へ、また姿を変えようとしている。

マスクの大胆さがTeslaをここまで押し上げた。その同じ大胆さが、今もTeslaに光と影を同時に落としている。だがこの会社は、最初からずっとそうだった。クリスマスイブの倒産危機も、量産地獄も、空売りの大合唱も、全てを燃料にして走り続けてきたのだ。Teslaにとっては、光も影も最初から同じものだったのかもしれない。

おわりに

倒産まであと3日だった小さなスタートアップが、世界で最も価値のある自動車メーカーになった。

その道のりを振り返ると、華やかさよりも泥臭さのほうが目につく。創業者同士が裁判で争い、CEOが工場の床で夜を明かし、ショートパンツを売って投資家を挑発し、Twitterで炎上した。それでもTeslaが生き残り続けたのは、2006年にマスクがブログに書いた「秘密のマスタープラン」──高い車を作り、中くらいの車を作り、安い車を作る──というシンプルな計画を、どんな逆境の中でも最後まで手放さなかったからだろう。

「大切なことなら、たとえ不利な状況でもやる」

2003年にカリフォルニアの小さなオフィスから始まったこの物語は、まだ終わっていない。ロボタクシー、AI、そしてその先へ。次の章に何が書かれるかは、まだ誰にもわからない。

筆者あとがき

Teslaの歴史を調べていて最も印象に残ったのは、この会社が何度「終わった」と言われてきたかということだ。
2008年のクリスマスイブ、2018年の量産地獄、空売り投資家たちの「破綻する」の大合唱。
そのたびにTeslaは死にかけ、そのたびに生き残ってきた。
もう一つ驚かされたのは、影響の広がりだ。
カリフォルニアの小さなガレージから始まった会社が、100年以上続いてきた自動車産業の構造を変え、太平洋を越えて日本の町工場にまで波を起こしている。良くも悪くも、これほど世界を揺さぶったスタートアップは他にないだろう。

※参考資料
Bloomberg
CNBC
CNN Money
NPR
TIME
Fortune
TechCrunch
Electrek
InsideEVs
BusinessToday
S&P Global
Tesla IR(Tesla投資家向け公開情報)
Tesla公式ブログ「The Secret Tesla Motors Master Plan」(2006年)

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この記事を書いた人

wata9488

フリーライターとして活動しています。 東京在中AI中毒末期。Claude CodeとCodexに人生をささげてます。