【米国スタートアップ列伝 Vol.7】プロダクトマーケティングの先駆者「P&G」

前田健二

「パンパース」「アリエール」「ボールド」「ジレット」「パンテーン」といったブランドをご存じでしょうか。いずれも日本の消費者にも広く知られたブランドです。強力なマーケティング活動をバックに消費者マインドに深く浸透し、多くの市場カテゴリーにおいてリーダーのポジションを獲得している強力ブランドです。これらのブランドを生み出したのがP&Gという会社ですが、本記事ではP&Gという会社の歴史を紹介しつつ、その強さの秘密に、特にマーケティングの強さの秘密に迫ります。

二人の移民職人が設立したP&G

P&G正式名称ザ・プロクター・アンド・ギャンブル・カンパニー(The Procter & Gamble Company)は、イングランド出身の蝋燭職人ウィリアム・プロクターと、アイルランド出身の石鹸職人ジェイムズ・ギャンブルの二人が、1837年にオハイオ州シンシナティで設立した会社です。

二人は、それぞれの妻が姉妹であったことから親戚関係になり、共通の義父に共同事業を興すよう説得されて会社を興したとされています。二人がP&Gを設立した当時のアメリカは1837年恐慌のただ中で、それぞれの製品の主たる原料である動物性油脂の入手が困難でした。不足する原料を奪い合うよりもお互いに協力して一緒に事業を行えばよいと諭されたのです。そうして、資本金7192ドルでP&Gは設立されたのです。なお、1837年当時の7192ドルは、現在の価値では25万ドル(約3950万円)程度になるようです。

南北戦争が全国ブランドのファーストステップに

設立当初から蝋燭と石鹸を製造・販売して事業を順調に伸ばしてきたP&Gですが、同社の製品をアメリカ全国ブランドのファーストステップに乗せたのが南北戦争です。南北戦争(1861年~1865年)では、アメリカ全土が北軍と南軍とに分かれて激しい戦闘を行いましたが、P&Gは、北軍の要請で大量の蝋燭と石鹸を納めていたのです。

P&Gの石鹸は汚れが良く落ちて衛生的だと兵隊たちに評判になり、戦争終結後に除隊した兵士たちが欲しがるほどでした。兵士たちはアメリカ全国各地から招集されていて除隊後は郷里へ戻ったのですが、P&Gの石鹸の評判は、戦場で実際に使っていた兵士たちの口コミによって全国に広がることになりました。オハイオ州シンシナティのローカルメーカーに過ぎなかったP&Gが、全国ブランドへと変貌する大きなきっかけとなったのでした。

「アイボリー」の誕生

1897年のある日、創業者ジェイムズ・ギャンブルの息子ジェイムズ・ノリス・ギャンブルは、石鹸製造過程のミスで空気を多く注入し過ぎた石鹸を作ってしまいました。「普通の石鹸」よりも明らかに軽く、実際に水に浮く石鹸を見たギャンブルは、そこにビジネスチャンスを見出しました。「水に浮く」ことを売りにすれば消費者が飛びつくかもしれない。そう考えたギャンブルは、元来は失敗作だった石鹸に「アイボリー」(Ivory)という名前を付けて売り出しました。

なお、「アイボリー」(象牙)という名前は、もう一人の創業者プロクターが教会の日曜礼拝の説教で聞かされた旧約聖書詩篇45篇の一節「琴の音は象牙の殿から出て、あなたを喜ばせる」から付けたとされています。象牙のように真っ白で水に浮く石鹸は、1881年12月に発行されたキリスト教雑誌に広告掲載され、本格的なキャンペーンが始まりました。

「アイボリー」の販売が開始された当時の石鹸は、ほとんどが黄色またはブラウンで、品質や機能も劣悪のものがほとんどでした。象牙のように真っ白で肌に優しく、水に浮く「アイボリー」はたちまち消費者の心を掴み、大ヒット製品となったのです。

「アイボリー」の成功はまた、後にP&Gのお家芸となるプロダクトマーケティングの歴史をスタートさせるスターティングポイントにもなりました。経営学者の多くは、「アイボリー」はアメリカマーケティング史上初のナショナルブランドとなったコンスーマー製品であるとしています。

「クリスコ」の誕生

1911年、「アイボリー」に続くヒット商品「クリスコ」が誕生します。設立当初から「蝋燭と石鹸のメーカー」のポジションを堅守してきたP&Gですが、1900年に突入する前後でそれ以外の領域に事業を拡大します。その先鋒となったのが食品事業です。

1900年代初頭のアメリカでは、料理用油としてラードや牛脂などの動物性油脂や、バターを使うのが一般的でした。特に豚由来油脂を原料に作られるラードが一般的に使われていましたが、腐りやすい、匂いが良くない、消費期限が短いといった欠点がありました。現在使われている植物性油の原始バージョンのようなものはありましたが、品質が安定せず、味も良くなく人気もいまいちでした。そこでP&Gは植物性油、特に当時大量に生産されつつあった綿実油に注目し、品質を向上させて販売することを考えました。

同じ頃、食品業界を一変させる画期的な技術が誕生し、勃興期を迎えていました。水素化と呼ばれる技術ですが、化合物に水素原子を付加させて化学反応を起こす技術です。例えば、植物油を水素化するとマーガリンやショートニングが作れるのです。P&Gは、この水素化の技術を持った技師をスカウトし、綿実油を水素化して新しい製品を開発するプロジェクトを始めました。そして、綿実油を原料にショートニングを生成することに成功し、クリスコ(Crisco)と名付けて販売を開始しました。

クリスコは、当時一般的だった動物油脂由来のラードに比べて匂いが少なく、室温でも保存が可能、しかもバターなどよりも安いことなどが消費者の心を掴み、爆発的に売れる結果をもたらしました。それまでのアメリカ人のライフスタイルを一変させることになるクリスコの誕生は、やがてP&Gのお家芸というべき「プロダクトマーケティング」の原型をかたちづくることにもなるのです。

近代プロダクトマーケティングの始まり

では、クリスコの誕生によって生まれた「プロダクトマーケティング」の原型とは、具体的にどのようなものだったのでしょうか。

クリスコが誕生した1900年代のアメリカでは、現代でいうプロダクトマーケティングというコンセプトおよびスキームはまったくと言っていいほど存在していませんでした。メーカーは製品を製造すると卸や小売店に販売し、宣伝広告なども自らは行わずに小売店に丸投げしていました。P&Gは逆に、自らが広告宣伝を行ってブランドを構築し、消費者を啓蒙する一連の活動を行ったのです。

P&Gが自らブランディングを行い、消費者を啓蒙しようとしたことには大きな理由がありました。クリスコは当時のアメリカでは画期的で斬新的な製品であり、消費者に直接メッセージを伝えて教育する必要があったのです。ラードが料理用油として一般的に使われていた当時、それまで存在しなかったショートニングというものを世に知らしめ、メリットを理解させ、実際に買ってもらう必要があったのです。

P&Gはクリスコがラードなどよりも「クリーン」であることを訴える大規模な新聞広告キャンペーンを行い、クリスコのイメージ浸透を図りました。同時に消費者向けの料理本「ストーリー・オブ・クリスコ」を無料で配布し、クリスコの実際の料理への活用方法などを伝えました。現代の我々が行っているインターネットを使った「コンテンツマーケティング」の原型のようなものを100年以上前に実施していたのですから、慧眼と言わざるを得ません。

続々と生まれるブランドと「ソープオペラ」

クリスコの成功により蠟燭と石鹼メーカーから家庭用品メーカーへの脱皮を果たしたP&Gは、その後も続々と新たなブランドをリリースします。1919年にクリスコの植物油バージョン「クリスコ・オイル」をリリースしたのを皮切りに、1920年に洗濯洗剤「オキシドール」、1933年に家庭用クリーナー「ドレフト」、1946年に強力洗濯洗剤「タイド」、1947年にシャンプー「プレル」の販売を開始します。

1920年代、P&Gは主要メディアであったラジオのマーケティング活用も本格的に始めています。人気のラジオドラマのスポンサーになり、「オキシドール」や「アイボリー」などの宣伝広告を大々的に行ったのです。当時のラジオドラマは家庭の主婦が主なリスナーで、P&Gの各製品との相性が良かったこともあり、P&GがスポンサーをしているラジオドラマはP&G の知名度アップとブランディングに大きな功を奏しました。そうしたラジオドラマはいつしか「ソープオペラ」(Soap Opera)と呼ばれるようになり、その後のテレビ全盛の時代まで通じて使われる俗称となったのです。

ニール・マッケロイという人物

P&Gの長い歴史において、特にP&G のマーケティングの歴史において、ニール・マッケロイという人物を外すことはできません。ニール・ホスラー・マッケロイ(Neil Hosler McElroy)は、1904年10月にオハイオ州ベレサで教師の両親のもとに生まれた、後にP&G における重要人物となる人物です。P&Gの本社があるオハイオ州シンシナティで生まれ育ち、ハーバード大学で経済学を学んだマッケロイは1925年にハーバード大学を卒業すると、故郷のオハイオ州へ戻りP&Gに入社、宣伝広告部に配属されます。

1931年、P&Gのジュニア・エグゼクティブマネージャーに昇進していたマッケロイは、後世にまで知られることになる3ページのメモを作成、会社上層部へ直訴します。マッケロイの伝説的なメモは、P&Gのマーケティングはプロダクトブランドごとに専属のチームが専任され、それぞれ自己完結的に行われるべきであるとする内容でした。

それまでのP&Gでは、マーケティング計画は会社一律で行われ、マーケティングチームがすべてのブランドを管理して宣伝広告やプロモーションキャンペーンなどの活動を行っていました。それを、「アイボリー」ならアイボリーチームが、「クリスコ」ならクリスコチームが、それぞれ別個にマーケティング活動を行い、事業を運営してゆくべきだというのです。

マッケロイのメモは上層部に採用され、プロダクトブランドごとにマーケティングを行う「プロダクトマーケティング」が誕生しました。その結果、P&Gの各ブランドはそれぞれの市場で飛躍的に売上を伸ばし、「プロダクトマーケティング」はその名を一躍知られることとなったのです。

P&Gによるプロダクトマーケティングは、専属の担当者または担当チームによってプロダクトブランドごとに管理実行されるという近代のブランドマネジメントの原型となり、P&Gのブランドすべてにおいて展開される基本スキームになりました。P&Gで生まれ、育まれてきたプロダクトマーケティングは、今日ではメジャーなビジネススクールの恰好の研究対象になり、P&G以外の会社でも広く活用されています。

余談ですが、このP&G式のプロダクトマーケティングの仕組みをマイクロソフトというソフトウェア会社に導入し、Windows製品やオフィス製品などの売上を飛躍的に増やしたのは、P&G出身のスティーブ・バルマーだとされています。

今なお受け継がれる「消費者志向マインド」のカルチャー

200年近く前にプロクターとギャンブルという二人の移民が共同で立ち上げた会社は、今日では年間売上840億ドル(約13兆2720億円)、経常利益149億ドル(約2兆3542億円)、時価総額3296億ドル(約52兆768億円)の、アメリカのみならず世界でも有数の家庭用品メーカーに成長しました。創業当初は蝋燭と石鹸だけを製造していたものの、歴史を重ねるとともにビューティー、ヘルスケア、ファブリック&ホームケア、ベビー・女性&ファミリーなどのカテゴリーへ進出、現時点で合計65のブランドを展開するに至っています。

プロダクトマーケティングと並ぶP&Gのカルチャーとなっているのが「消費者志向マインド」です。P&Gは、クリスコをリリースした前後より消費者の声を製品開発に活かし始め、「しつこい汚れを落としたい」という消費者に「タイド」を、「衣類の嫌なにおいを消したい」という消費者に「ファブリーズ」を開発、提供してきました。P&Gは、消費者の声を聞く具体的な方法として消費者インタビューやフォーカスグループなどをいち早く取り入れた企業としても知られています。

「消費者の声」を聞いて各種の製品を開発し、ブランドごとに選任されたマネージャーとチームが専任でマーケティングを行い、市場のリーダーとなってゆく。このシンプルな勝利の方程式を、P&Gと言う会社は200年近く実践してきています。そして、P&Gという会社が存続する限り、「消費者志向マインド」のカルチャーと「プロダクトマーケティング」の伝統も存在し続けるのは間違いないでしょう。それらはいずれもP&Gの歴史が育んできた強固な企業DNAなのです。

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《参考サイト・文献》
P&G History
Britannica Money: Procter &Gamble Company
EBSCO Procter & Gamble
“Managing Brand Equity”, David A. Aaker, 1991, p1-4
A history of Crisco
UVA Miller Center, Neil H. MceLroy

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この記事を書いた人

前田健二

大学卒業後渡米し、ロサンゼルスで飲食ビジネスを立ち上げる。帰国後複数の企業の起業や経営に携わり、2001年に経営コンサルタントとして独立。新規事業立上げ、マーケティング、アメリカ市場進出のコンサルティングを行っている。アメリカのビジネス事情に詳しく、ライターとしてアメリカ発のニュービジネスに関する記事などを執筆、各種ウェブメディアに寄稿している。 米国のベストセラー『インバウンド マーケティング』(すばる舎リンケージ)の翻訳者。明治学院大学経済学部経営学科博士課程修了、経営学修士。