【主な登場人物】
主人公:ヘンリー・ウェルズ
ウィリアム・G・ファーゴ
ラルフ・リード(6代目社長)
1850年に社名をアメリカン・エキスプレスという名前にし、3社が合併した。俺が初代社長、ファーゴが副社長、バターフィールドは一番の筆頭株主であり取締役だ。だが、元々ライバルということもあり、社内でもやはりバターフィールドとは話が合わないことが多々あった。根本的な考え方に違いがあるということだろう。だが、完全に社から追い出すというのは違う話だし、きっと分裂すればまた強大なライバル会社になり、価格競争をしなければいけない状況に追い込まれる。だから、同じ社内で対立することがあっても、戦い続けなければいけない。それが、会社存続のためになるからだ。
1852年。ゴールドラッシュに沸くカリフォルニアを見て、私とファーゴは、カリフォルニアへの進出こそが最大の商機だと思った。しかし、バターフィールドや他の役員たちは、西部には強力なライバル会社であるアダムズ&カンパニーがいるため、衝突が起きるリスクが高いということで、俺たちの提案を否決したのだ。
「ウェルズさん。このまま、カリフォルニア進出を諦めるんですか!?」
珍しく熱くなっているファーゴの言葉に、俺は首を横に振った。
「諦めるわけないだろ。この会社でできないなら、カリフォルニア進出ができる会社を作ればいいんだ」
「会社を作る?」
「あぁ、アメリカン・エキスプレスとは別の会社だ。二つの会社の運営をすることになるが、それぐらいできるよな、ファーゴ」
「当たり前です! やってやりましょう!」
こうしてウェルズ・ファーゴという会社を同じくニューヨークで立ち上げ、西海岸で銀行業務と急行輸送を行う事業をすることにした。それは反則だろうというやつらもいたが、この例に習ってバターフィールドも自分の会社を他にも立ち上げたし、文句を言うやつは徐々にいなくなった。
その後、アメリカン・エキスプレスでは、1857年に郵便為替事業を開始した。現金そのものを運ぶリスクを減らすために、安全に送金できる仕組みが欲しかったからだ。これがあれば輸送費も減るし、安全性も担保されやすくなる。これが、アメリカン・エキスプレスが金融業に手を出し始めた一歩となった。
それから時代が進み、1868年。数年に渡り、マチャーズ・エキスプレスと激しい価格競争をしてきていたが、このままでは共倒れになると判断した。そこで思い出したのは、バターフィールドとの一件だ。共倒れになるぐらいなら、合併をした方が会社は残る。それを伝え、無事に合併の話はまとまった。だが、そこで誰を社長にするのか、と考えた時、俺はあることを思い、ファーゴを呼んだ。
「ファーゴ。思えば長い付き合いになったよな」
「なんです? 呼び出したと思ったら、昔話ですか? 今はそんな時期でもないと思うのですが」
「俺は引退しようと思うんだ」
「え!? ちょっと、何を言っているんですか! 合併したばかりですよ。合併後もウェルズさんが社長をするんじゃないんですか!?」
ファーゴはとても焦った様子で、俺に詰め寄ってくる。こんなに焦っているファーゴを初めて見たかもしれない。
「社長なら俺の前にいる。俺が誰よりも信頼している奴がな」
「……私に社長を?」
「あぁ、それに俺はもう62だ。新しく生まれ変わるアメリカン・エキスプレスには、若い奴らにスポットを当てたいんだよ。それができるのは俺じゃなくて、お前だ」
「で、でも……私は、ずっとウェルズさんの下で……」
「何を情けないことを言っているんだ。俺と出会う前まで、失敗はしているが経営をしていたんだろ。トップとしての器は十分にある。だから、目一杯やってほしいんだ」
「ウェルズさん……。で、でも、ウェルズさんは引退後はどうするんですか?」
そう聞かれて、俺の頭には学校が浮かんだ。吃音学校を作って失敗した経験が、俺をここまで連れてきてくれた。でも今世の中を見ていると、吃音者というよりも、女性の立場の弱さの方が気になっている。女性だってもっと勉強をして働きたいと思っているはずなのに、時代がそれを許していないというのが問題だ。
「女性に高等教育を提供する学校を作ろうと思う。その発展に残りの余生を捧げようと思うんだ」
「女性の社会進出を見据えてということですよね……。わかりました。ウェルズさんの遺志を引き継いで、私が率いてみせます」
「それでこそ、俺の知っているファーゴだ。よろしく頼むよ」
その10年後。俺はこの世を他界した。人生に悔いを残さずに。
時代は大きく進み、1944年。アメリカン・エキスプレスはさらなる発展を遂げ、ラルフ・リードが6代目社長として就任を果たしていた。彼がどんな人生を歩み、今現在、どういう立場なのかを、軽く説明しよう。
リードはフィラデルフィアで生まれ、名門プリンストン大学で奨学金を得るほどの優秀な生徒だったが、父親が失職したため大学を中退。その後は、昼は会計士、夜はペンシルベニア大学の夜間部に通っていた。その後、彼が29歳(1919年)の時にアメリカン・エキスプレスに数字を扱う監査役補助として入社している。25年間財務のプロとして会社を支え続け、世界恐慌も彼の徹底したコントロールで乗り切れたという実績があり、5代目社長が退任を決めた後、役員会で満場一致で彼が6代目社長に選ばれたというわけだ。
では視点を彼に預け、俺はしばらく傍観者として黙っていよう。
「社長……か」
この会社に入社した時、ここなら堅実に稼ぐことが出来そうだと思っていた。だが、まさか社長になるとまでは思っていなかった。人生とは何があるか分からない。人生を諦めなければいけないと思った瞬間は、これまで何度もあったが、諦めずに身体が悲鳴を上げても動けるうちは動くという信念で生きてきた甲斐があったというものだ。
とはいえ、アメリカン・エキスプレスの歴代の社長は、時代を先読みし、方向転換を上手くして来ていた。
初代のウェルズ社長は政府とやり合って、法律を変えさせることまでしているし、為替を作った偉大な人間。
2代目のファーゴ社長はウェルズ社長の右腕と言われていたぐらい優秀な人間で、ウェルズ社長がいなくなっても手腕を振るっていた。とりわけ、ネットワークの全国展開やビジネス送金の標準化といったことをしっかりとやり遂げている。
3代目は2代目ファーゴ社長の実の弟ジェームズ社長。この人はまた、初代と2代目とは少し違った視点を持っていた。トラベラーズ・チェックというものを導入し、盗難に遭っても再発行ができ、異国の地でも現地通貨として店舗でそのまま使える旅行小切手サービスを展開した。それと同時期には、海外送金・外貨両替も行って、アメリカ国以外にも支店を初めて作った人でもある。
4代目はテイラー社長。3代目がしてきたことに影響を受けているとは思うが、アメリカン・エキスプレスが観光ビジネスに本格参入をしたのは彼だ。旅行部門が作られ、ツアー催行とチケット手配もしている。私がこの会社に入社した時の社長もテイラー社長だった。だから、アメリカン・エキスプレスといえば、彼のイメージが俺は一番強い。
5代目はスモール社長だ。彼は一番苦労しただろう。何せ世界恐慌が就任してから6年後に起きているのだから。しかも戦争も始まっていて、これまでの常識が通用しなくなってきていた。さらにアメリカン・エキスプレスの主力が旅行エージェントになったのも、先代の時だ。私も副社長として傍らについていたが、21年間もこの激動の中を良く走り抜けたと思う。
そして、6代目が私か。初代から5代目まで、誰一人として抜けていたら、アメリカン・エキスプレスは今の形にはなっていなかっただろうし、もしかしたら廃業していたかもしれない。今の会社の状態を見たら、初代は驚くだろうな。もう運送業ではなくなっているのだから。
「だが旅行エージェントでいいんだろうか?」
終戦もあり、これからは世の中の流れが大きく動く。各国を自由に飛び回れるようになるので、きっと旅行が活発になる。うちにはトラベラーズ・チェックという旅行小切手があるから問題はないはずだ。
それからしばらく時が過ぎ、社内からカードビジネスのアイデアが浮上した。旅行小切手があるのに、わざわざカードにする意味が分からないと突っぱねた。他の役員も、ほとんど同じ意見だったので、丸く収まったのだが……。
1950年に世界初の多目的チャージカード「ダイナースクラブ」が登場し、それがアメリカの富裕層やビジネスマンの間で爆発的に普及し始めたのだ。ダイナースクラブのカードを持っている人たちは小切手を持たず、1枚のカードだけでスマートにディナーやホテルの支払いをしている。それがステイタスといわんばかりの日常になりつつあった。
「うそだろ……。カードビジネスは、数年前にうちでも案が出ていたが、私が没にしたやつだ。このままでは我が社が築き上げてきた顧客たちが、すべてダイナースクラブに取られてしまう……!」
私は危機感を募らせ、社内の反対を押し切ってカード事業への参入を決定した。それが1957年のことだ。
「何で勝手にそんなことを決定してしまうのですか!」
私はワンマン社長で有名だが、こうやって叱ってくれる人間もいる。それはありがたいことだが、彼の言うことを聞くつもりはない。
「私の判断だ。それよりもカードのデザインを考えるぞ。人を集めろ」
「もう、どうなっても知りませんからね!」
小言を言いながらも秘書は、私の言ったことを忠実にこなしてくれる。優秀な人材だ。そしてカードのデザイン会議が始まった。
「会社のメッセージを一目で伝えるシンボルを載せたいと思う。分かっていると思うが、会社のメッセージは安全性と信頼だ」
私の言葉に会議室がシーンとなる。その中でデザイナーが一人、手を挙げた。
「古代ローマ軍の精鋭部隊を率いたと言われているセンチュリオンはどうでしょうか?」
「百人隊長と呼ばれているものか」
「確かに彼は防衛のプロだし、ローマ帝国はかつてヨーロッパ、アフリカ、アジア広域を支配し、どこの国でもセンチュリオンの権威が通用したと聞いている」
「しかし、彼は古代ローマ軍だろ? アメリカ人ではない」
「けれど、知力・体力・誠実さを兼ね揃えたえりすぐりのエリートだけがつける役職ではなかったでしたっけ?」
様々な人の意見を聞きながら、確かにアメリカ人ではないが、アメリカ人にこだわる必要もないのではないかと思った。今の時代は国が違うからと言って敵と判断するものではないし、ましてや古代ローマ帝国となると、今存在している国でもない。となれば何も問題がないはずだ。
「よし、センチュリオンにするぞ。デザイナーたちに伝え、早速仕事にかかってくれ」
喧々諤々としていた会議が、私の一言でピリッとした空気になり、会議は解散になった。そして世界最高峰の信頼のマークとして、カードに大きく描かれることになったのだ。
1958年10月。システムの構築も必要だったので時間はかかったが、アメリカン・エキスプレスは紫色の紙製カード「アメリカン・エキスプレス・カード」を発表した。またアメリカン・エキスプレスのカードの優位性を出すため、ダイナースクラブよりも年会費を1ドル上乗せした。役員たちは後発なのだから同じか安くすべきだと言っていたが、全て一蹴。私は自分の意見を貫いた。その結果、大成功。アメリカの富裕層やビジネスマンのプライドを刺激し、アメリカン・エキスプレスのカードを持つことは一流の証というステイタスが生まれたのだ。カードは予想を上回る大ヒット。なんと25万枚以上が発行された。だが――
「紙のカードが折れ曲がって使えなくなったという苦情が何百件ときています!」
「店舗側からは、決済エラーでクレームが入っています!」
と、いうふうに苦情の嵐になったのだ。理由は明白だ。紙では耐久性がないため、すぐにボロボロになってしまうし、店舗で購入をした売上伝票は紙のカードでは文字を綺麗に転写することができず、決済エラーが出てしまったということだ。
「こんなこと、少し冷静になればすぐに分かったことなのに……! 私の使命は、顧客に最高の安心と利便性を提供するというもの。このままではダメだ」
私はすぐに打開策を考えた。
「そうだ、最近出始めたプラスチック製のものを取り入れればいいのではないか? あれなら耐久性もあるし、印字もしやすいはずだ!」
そう思った私は、紙製のカードを発表して半年で、全てのカードの素材をプラスチック製へと変更した。これは大手カード会社として世界で初めての全面プラスチック製エンボスカードとなったのだった――。
これが現代2026年のアメリカン・エキスプレスのカードに繋がっているというわけか。リード社長以降の歴代の社長たちもみな、俺の意思を継いでこんなに長く続く企業にしてくれたんだな。これからも天界で会社のことを見守らせてもらうよ。
byヘンリー・ウェルズ
【あとがき】
アメリカン・エキスプレスは、創業者だけの話では現代のサービスにまでたどり着かなかったため、ウェルズには死後も登場してもらっています。その時代時代に合わせて、業務内容を変えていくスタイルというのは歴史を調べていてとても面白く感じました。
【参考資料】
American Express US Newsroom (公式ニュースルーム)
Wells Fargo History (ウェルズ・ファーゴ公式歴史アーカイブ)
Smithsonian National Postal Museum (スミソニアン国立郵便博物館)
American Express US Corporate Site (Amex企業情報公式)
American Express Japan (アメリカン・エキスプレス日本公式)
この記事を書いた人
岩本和代
2016年よりフリーのライターとして活動中。 インタビュー取材、シナリオ執筆を得意としており、幅広く執筆をしている。




























