【登場人物】
えま……17歳の女の子。高校2年生。好奇心旺盛だが、他力本願。楽しいことが好き。
つむぎ……17歳の女の子。高校2年生。えまと同じクラスで仲がいい。分からないことはすぐに検索する
おはよー!
おはよ。朝から元気ね
私は1日中同じテンションだけど?
そうだったね
そうそう、昨日の生配信見た?
時間を勘違いしてて30分ぐらい遅れてから見たんだけど、そしたらさー、広告が始まっちゃって。こっちは早く生配信を見たいっていうのに
確かにそういうことあるよねー
それで腹が立って、広告ってなんで生まれたかを調べたのよ
そこで広告の成り立ちが気になる?
そして目に入ったのが電通ってわけ
いや、凄い急ハンドルだな
ほら、そろそろ進路希望とかも出さなきゃいけないしさ
お、おう。私は、えまの話題についていくので精いっぱいだよ
まだまだ序の口だからね。でさ、電通の創始者の名前って知ってる?
創始者? 電通っていう会社は知ってるけど、なんか広告の会社だなって。でも創始者はさすがに知らないわ
つむぎでも知らないことあるんだね
日常生活の中で電通の創始者の話になることなんてないからね。それで、誰なの?
ふっふー。それは光永星郎って人だよ
名字もすごいけど、名前もなんかキラキラしてるね
これは自分で名前を変えたみたいだよ。元々は喜一って名前だったらしい
自分で名前を変えたの!?
当時の日本では、そこまで変なことではなかったみたいだね
へーそうなんだ。で、その人って、どれぐらい前の人なの?
んー……わかんない
は?
そこで力尽きて寝ちゃったから
寝落ちするの早くない?
でも気になるよねー
くっ……そのパターンか。わかったよ、私が調べるわよ
さっすが、つむぎちゃん♪
えっとね、光永星郎は1901年に日本広告株式会社と電報通信社の2つを作ったらしいよ
おぉ、めっちゃ昔だね。歴史の授業で聞く時代だ
電通……株式会社日本電報通信社っていう名前になったのが1907年のことで、その時にさっき作った2つの会社を合併したんだって
なんで2つ作ったんだろう?
一応、同時期に作ったというわけではないみたいね。1901年7月に電報通信社を作って、同年の11月に日本広告株式会社を作ったらしい。当時はニュースだけだと赤字になるって確信があったからだってさ
ふーん。でもさ、後々合併するなら、初めから1社にして事業を分ければよかったんじゃない?
それは財布を分けておきたかったというのと、当時ニュースは中立公正なものっていうイメージだったけど、広告は商売というイメージが強かったから、一緒にしたらニュースの信用がなくなると考えたからだってさ
なるほどー。でも、結局6年で合併したんでしょ? その6年って、なんか大事だったの?
必要な期間ではあったみたいよ。6年の間に電報通信社としての盤石な地位を築いていたし、ニュースと広告の相乗効果が確立されているというのが、誰の目から見ても分かるようになったからだって
ふーん。何となく合併したってわけじゃないんだね
そりゃそうでしょ。この最初の6年は、後々に向けて重要な時期だったというわけだよね
でもさ、ニュースと広告の相乗効果って、どういうこと? よくわかんないんだけど
電報通信社が配信する速報を新聞社に安価、もしくは無料で提供して、その代わりに新聞の広告枠を開放してもらっていたっていう感じみたい
だからニュースは無料で、広告は新聞社から枠を貰って、広告を出したい企業からお金を貰うっていうビジネスモデルだったらしい
それを1900年代に考えたんだ! すごいね!
そこはやっぱり創始者だよねー
でもさ、それを聞くと、光永さんって、ニュースにすごい思い入れがある気がするよね。通信社の方を先に作っているというのもそうだけど、通信社を存続させるために広告会社を作ったってことでしょ?
お、さすが。今の説明だけでそこまで理解するとは
まぁねー。もっと褒めたまえ
いや、褒めないけど。話を戻すとさ、光永さんは元々新聞記者だったみたいよ
そうなんだ!
1894年に始まった日清戦争では従軍記者としても戦地に行っていて、記事を書いていたらしい
戦場カメラマンならぬ、戦場記者ってことだよね
そうそう。でも戦地で知ったことを記事に書いても、当時は通信料がめちゃくちゃ高い上に、配信されるまでにも時間がかかったらしい
そっか、その時代にはネットとかないもんね
まぁ、ネットがあったら、ニュースと広告のビジネスモデルなんて考えなかっただろうけど
で、この経験があったから、光永さんは迅速なニュース配信をしたいっていう気持ちがあって、会社を作ったんだってさ
なるほどねー。でも、今の電通ってニュースを配信しているっていうイメージはないよね。広告会社っていうイメージしかないんだけど
それはね、1936年に国策によって通信部門が同盟通信社に統合されたからみたいだよ
国策? 国が指示したってこと?
うん。この頃の日本は軍国主義が進んでいて、ニュースの出所を国が管理した上で、一元化しようとしてたんだってさ。だから、国策っていえば聞こえはいいけど、強制統合があったってことだね
えー! 最悪なんだけど。だって、光永さんは元記者だったから、ニュースに命をかけていたはずなのに
そうだよね。創業の理念を国によって潰されたってことだもんね。でも、これがあったから、光永さんは広告で日本一、世界一になってやるって強く思ったらしいよ
悔しい思いをバネにして、のし上がったってわけだね。なんかそう聞くと、親近感がわくなー
親近感? 気になったことがあっても、すぐに寝落ちしてしまうのに?
あははー。私のことはいいじゃん。それより光永さんは、そこからどうやって広告で世界一になろうとしたの?
他の中小の広告取次業者16社を買収・統合して、広告の数でメディアを圧倒することにしたんだって
その結果、新聞社とか広告を出したいと考えている企業に、他の広告社ではなくて、巨大な電通に広告をお願いした方が効率的だって思わせたそうだよ
おぉ、めっちゃ無双してるね
しかも、その裏で電通に通さなければ広告を出せないとまで思わせたらしい
うーわ、怖っ。なんか、ニュース部門を国に取られた恨みとかがありそう
あったかもね。それにね、1955年に株式会社電通という名前に変えるまでは、ずっと日本電報通信社って名前を貫いたから
すごい。でもさ、電通っていう名前にしたって、日本電報通信社を短縮しただけの名前だし、結局今でも「通信社」という名前は消していないっていう見方もできるよね
確かにね。光永さんにとっては、それほど大事なことだったんだろうし、創始者が大事にしていたことを、2026年になった今でも受け継いでいるっていうことだもんね
でもさ、中小の広告取次業者16社を買収・統合をした時に、かなり恨まれていそうだよね
そりゃね。結構強引だったという噂もあるし。でも、それがなければ今の電通はなかったかもしれないけどさ
そうだよねー。夜とか一人で道は歩けないよねー
この頃はすでに大会社だから、一人で道を歩くなんてことはなかっただろうけどね
くぅ、金持ちか!
でもただ金に物を言わせただけではなく、ビジネスとしてもちゃんとしてたっぽいよ
というと?
当時の広告会社って、ただ広告の枠を企業に売っていただけだったんだけど、光永さんは一業種一社制という仕組みを入れたらしいんだよね
えーと、ブルボンのチョコレートと契約をしたら、森永のチョコレートとは契約しないってこと?
そういうこと。それをすることで、広告枠を購入した企業との関係を変えていったみたいだね
どう変わったの?
だから、売り手と買い手しかなかった関係を、その企業のマーケティングを支えるパートナーになったということだね
おぉ! それは嬉しいね
お客さんから、仲間に変わったわけだからね。その方が、仕事もどんどん貰えるだろうし
恐るべし、光永さん! 広告会社として世界一にまで押し上げただけあるよね
いや、光永さんは世界一にはしていないみたいよ
どういうこと?
単純に時間が足りなかったというのもあるんだろうけど、光永さんは第二次世界大戦が終わった1945年に亡くなってるんだよ
1901年から走り続けてきたものの、業界自体も成熟していない状態だし、何の基盤もなかったわけだし、1人でそこまでやりきるのは無理だったみたいだね
そうなの? 結構強引な感じがするから、そこまでしたのかと
でも、世界一の広告会社にするための種まきは生きているうちに十分にできていたみたいだけどね
じゃあ、誰が電通を日本一、世界一の広告会社にしたの?
それは4代目社長の吉田秀雄さんみたいだよ
ここにきて、新しい名前かー! そろそろ私の頭の中も容量がいっぱいなんだけど
電通は歴史のある会社だからね
ほら、もうすぐ朝の朝礼が始まる時間になっちゃうし、まとめ的な話を聞かせてよ
あんたね、それぐらい自分でーー
つむぎちゃ~ん、お願い。そうじゃないと、朝礼の時間にいきなり「光永!」とか叫びそうなんだもん
どんな症状なんだよ、それ(汗)
教えてよ~。まとめてよ~。気になるところをちょいちょいつついていただけだから、話しもバラバラしてるしー
はいはい、わかったわよ。えっと、光永さんがやってきたことって、大きく分けると4つの時代に分けられるみたいなのよね
4つ?
創業してから、2つの会社を合併するまでと、合併から国に通信事業部門を奪われるまでと、奪われてからから晩年までと、晩年から死亡まで。ちなみに晩年っていうのは、1940年代ね
おぉ! わかりやすい!
一番初めの時期にしたことは覚えてる?
おっ問題きたー! 私、記憶力には自信あるんで。確か新聞社に対してニュースを安く提供する代わりに、広告枠を電通に預けるってやつでしょ
あたり! バーター取引って言われる手法らしいよ。そしてこの時期に、ニュースに対する世間や新聞社からの信用を得ていったんだよね
そうそう。結局合併するなら、初めから1つの会社にしとけばよかったのにって思ったから覚えてるんだー
じゃあ次の時期に光永さんがしたことは?
えっ、合併以外に何かしていたっけ? ……あれ? 記憶に残ってない……
うん、だって言ってないもん
つむぎー! ひどい。でもこの時期にも何かしてたんだね。光永さんは、何をしていたの?
新聞の発行部数の調査を独自でしていたらしい
独自で? え? というか、この時代は新聞社は世間に伝えてなかったの?
そうみたいよ。新聞業界の全盛期だったと思うんだけど、非公開だったらしい
それを独自に調べて、これだけの人が見るから、これだけの効果が見込めますよって、広告枠を買おうとしていた企業にアピールをしたみたいね
すごー! 福袋の中は、すべて公表している方が安心して買えるっていうのと同じだね!
う~ん……微妙にあっている気もするけど、全然違う気もする例えね。じゃあ、通信部門を奪われてからしたことは?
ここは何か色々話を聞いた気がする。日本一になるぞ! 世界一になるぞ! って言って、無双していた時期だよね?
そうそう。で、何をしたんだっけ?
広告事業だけになったから、他の広告会社を占領したんだよね
16社の買収と統合ね。でも、さっきは言わなかったけど、実は他にもしていることがあったんだよね
そうなの?
世界一になろうともしていたってことは、世界とのパイプも必要よね?
えっまさか! この時代に世界と契約してたの!?
ユナイテッド・プレス通信社などの会社と独占契約をしたらしい
えぇ!? でも、それって国に通信事業を奪われた後だよね?
そうだよ。自社の社員は置けなくなったけど、海外通信社なら国も手出しできないし
うーわ、やっぱりすごい執念! 通信事業って光永さんにとって、本当に大事だったんだね
そうだね。でも、独占契約をして、海外の重要ニュースを電通が握ったから、新聞社に対するけん制というか、支配力もさらに強めたみたい
本当にすごい人だよね。よくそこまでやったというか。そういえば、この人って、この時何歳なの?
年齢か……確かに調べてなかったね。1866年生まれで、一番初めに2社創業したのが35歳の時だってさ
だから、通信事業を奪われて、広告会社として無双し始めたのは1930年代だから、60代中ごろから70前半ぐらいにかけてってことだね
最近のじいちゃん、ばあちゃんは元気とかよく言うけど、昔から元気じゃん
「元気」の一言で、すませられるのかは微妙だけど、すごいよね
海外ニュースを独占して、国内の広告事業も独占したんだもんね。休みとか、なかったんだろうなー
休むイコール後れを取るっていう考えだったのかもね
私なんて休むイコール楽しい夢の中なんだけど
それは知ってる。それで最後の時期についてだけど、1940年代の光永さんがしたことは何だったっけ?
それは……おぉっと危ない。まーた、引っかかるところだったよ。それもまだ話してない所でしょー
ちっ、引っかからなかったか。そう、まだ言ってないよ。晩年の光永さんがしたことは、広告の社会的地位の向上なんだって
次世代の社員のために、広告をただの商品の一つとするんじゃなくて、国策協力や社会文化の一部という位置づけにして、企業としての格式を高めたって書いてあるよ
最後は無双じゃなくて、後世のために動いたってことだね
そういうこと
ほんと、凄いね。光永さんって。ある意味日本を動かしている人だし、創始者って言葉がぴったりな人って感じがするよ
これで、朝礼中も奇声を開けずにすみそう?
うん! 朝礼中は光永さんと夢の中で会ってくるよ。アデュー
って、寝るんかい!
参考資料
dentsu ビジネスヒストリー(公式)
dentsu 歴史(公式)
電通報
Wikipedia(電通)
国立国会図書館(光永 星郎)
この記事を書いた人
岩本和代
2016年よりフリーのライターとして活動中。 インタビュー取材、シナリオ執筆を得意としており、幅広く執筆をしている。



















